る原稿が皆狙いどころをそれているのにも困ります。先ず濃厚なところが七分、活劇的なところが二分、革命的な思想が一分といった割合で作れば大丈夫受けます。その中でも革命的な思想という奴は、ホンの筋を運ぶための背景位に取り扱って差支えないので、濃厚なところを主眼にして、ダレさせないために和漢洋各式の立廻りで気分を破って行くといったようなのが一番よろしい。つまり現代人の要求する場面は徹頭徹尾性的に深入りした場面で、ほかはホンのあしらいに過ぎませんネ」
と。そこの撮影監督は又これに裏書して曰く、
「まったくです。近頃は甘物の連続でウンザリしているのです。大体わかり切った甘い材料を、どう料理したら飽きさせずに喰わせる事が出来るかと、毎日毎日そればかり苦心させられます。地震後は一層それが非道《ひど》くなったので、もう今ではこちらが中毒のフラフラ気味です。面白いのは地震ものが一向受けないのに、集まって来る脚本はどれもこれも地震を取り扱っていることです。一ツは当局初め一般の所謂《いわゆる》常識階級が、あの大地震を一種の教訓の意味にばかり考えて皆に宣伝するために、反感を起したものとも見えます。現在の東京人は『地震』と云うと――すぐに『ソラ又《また》天の何とかだ』と感づいて、出来る限りこれを避けよう、思い出すまい、そうして享楽しよう享楽しようとばかり考えているようです。地震の反動とでも云いましょうか」
云々と。これ等の話は皆よく東京人の堕落時代を裏書している。
痛切な悪魔の標語
震災直後の東京ではライスカレー一皿で要求に応じた女が居たと甲《たれ》も乙《かれ》も云う。そのライスカレーは、玄米の飯に馬鈴薯と玉葱の汁をドロドロとまぜてカラシ粉をふりかけたもので、一杯十銭位であった。
これ以上の高等なのも居たろう。これ以下の無茶なのも居たろう。とにもかくにも震災後間もない東京の人間は、人間性の美点と醜点とを極度までさらけ出した。その醜い半面のこうした傾向が如何に烈しいものであったかという一例がこれである。
彼等東京人は食物に飢えたように性欲にも飢え渇いた。その烈しい食欲と性欲は、彼《か》の灰と煙の中でかようにみじめに交易された。
彼等の自制力は地震で破壊された。土煙と火煙を吹いた。
「こうなればもう何でもいい」
という投げやりの考え、六ヶ《むずか》しく云えば彼等は悪魔の
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