唯物科学的社会組織の中で、芋を洗うように……もしくは洗われるように押し合いへし合い、小突き合い、ぶつかり合って生活して行く間に感じた、あらゆる非良心的な闘争――生存競争そのものが生む、悽愴たる罪悪感……残忍な勝利感や、骨に喰い入る劣敗感なぞ……そんな毒悪な昂奮に鬱血硬化させられ続けている吾々の精神の循環系統の或る一個所を、探偵小説というメスで切り破って黒血を瀉出し、毒気を放散しようとしているのだ。血圧を下げて安眠しようとしているのだ。書く方も、そんな気で書き、読む方もそんな気で読んでいるのだ。
 そこから迸出《ほとばし》る血が、黒ければ黒いほど気持がよくて、毒々しければ毒々しいほど愉快なのだ。だから探偵小説の読者は皆善人なのだ。……だから普通の小説が愛情の小説なら、探偵小説は良心の小説なのだ。良心の戦慄を書くのが探偵小説の使命なのだ……という説もある。
 これも一応|尤《もっと》もな気がする。多分に共鳴も出来るようであるが、しかし、探偵小説の定義が、そうときまれば、ストーリーと謎々だけで成立している所謂、本格の探偵小説は飯が喰えないみたいなものになる筈である。
 ところが本格の探偵小説
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