、伜は家風に合わん女を貰おうとしたから余が承知しなかったのじゃ。出て行けと云うたのじゃ」
「へへ。伜は喜んだろう。コンナ店曝《たなざら》しの光栄を引継いで、一生無駄飯を喰うのを自慢にするような腐った根性は今の若い者は持たないのが普通だぞ。又コンナ家《うち》に嫁入って来て、コンナ家風に合うような女だったら、虚栄心だらけのお茶っピイか。魂のない風船娘にきまっているんだ」
吾輩がここで滔々《とうとう》と現代女性観を御披露しようとするところへ背後の扉《ドア》がガチャリと開《あ》いて、思いもかけぬ警官が二人威儀を正して這入《はい》って来た。伯爵閣下に恭《うやうや》しく敬礼すると、物をも言わず吾輩のマントの両袖を掴んだものだ。多分正気付いた家令が電話でもかけたんだろう。
「何をするんだ」
と吾輩は二人の顔を振返ったが、二人とも吾輩を知らない新顔の警官らしい。やはり無言のまま無理やりに吾輩を引っぱって行こうとしたが、そのはずみに吾輩のマントの両袖がスッポリと千切《ちぎ》れて、二人の巡査が左右に尻餅を突いた。吾輩は思わず噴出《ふきだ》した。
「アハハハハ。飛んだ景清《かげきよ》のシコロ引きだ。これが泥棒だったらドウなるんだい。ハハハハハ」
「ホホホホホホホホホホ」
「ほほほほほほほほほほほ」
思いがけない大勢のなまめかしい声が聞こえたので、ビックリして振返ってみると、自動車の中に待たせておいた連中がゾロゾロと這入って来た。洋装、和装、頬紅、口紅、引眉毛《ひきまゆげ》取り取りにニタニタ、ヘラヘラと笑い傾《こ》けながら、荘厳を極めたロココ式の応接間に押し並んだところは、どう見ても妖怪だ。その妖怪中の妖怪とも見るべき上海亭の女将は、唖然となっている警官を尻目にかけながら、しゃなしゃなと歩み出て恭しく伯爵閣下に一礼した。
「オホホホ、ずいぶんお久し振りで御座いましたわねえ、伯爵様。先年北支那の王魁石《おうかいせき》さんと秘密に上海でお会いになった時には、手前共の処を大層|御贔屓《ごひいき》下さいまして、ありがとう御座いました。あの時に御引立に預りました娘たちを御覧遊ばせ、皆もうコンナに大きくなりまして御座いますよ。あれから間もなく私どもは上海を引上げまして、コチラの大学前に、店を開きましたので、その中《うち》に一度は御挨拶に出なくちゃならないならないと存じながら、ついつい御無沙汰致しておりましたが、今日は又思いがけなく、コチラの若様の事で、是非ともお伺いしなければならぬ事が出来ましたので、序《つい》でと申しては何で御座いますが、みんな引連れて御伺い致しましたような事で御座います。オホホホホホ」
老伯爵は棒立ちに突立ったまま、[#「、」は底本では「。」]眼を白黒させて唾液《つばき》を嚥《の》んだ。吾輩も余りの事に、棒立ちに突立ったまま、唾液《つばき》を嚥まざるを得なくなった。
言語道断
「私が若様を存じ上げていると申しましたら不思議に思召《おぼしめ》すで御座いましょう。ところが若様は流石《さすが》にチャキチャキの外交官でおいで遊ばすのですから抜け目は御座いません。伯爵様が、私どもの店を御贔屓になっております事を、よく御存じでね。外務省の御用で上海へお出でになるたんびにお父様の御遺跡を御覧になりたいと仰言《おっしゃ》って私どもの処へお立寄りになりましたので、私どもでも特別念入りに御世話申上げましたところが、大層|御意《ぎょい》に叶《かな》いましたらしく、ずっと引続いて今日まで御引立を蒙《こうむ》っているので御座いますよ。ホホホホホホホホ。
……そう致しましたらね。私どもがコチラへ参りましてからの事で御座いますよ。若様が、わざわざ私どもの処へお運び下さいまして、コンナ御相談をなさるので御座います。……自分が仏蘭西《フランス》から帰った後《のち》に、山木という市会議員のお嬢さんのテル子さんと仰言る方と婚約していたら、その山木さんが疑獄で別荘にお出でになったとかで、伯爵様が、そのお嬢様との婚約を諦めてしまえ、羽振さんからの婚約の申込を受けろと仰言って、どうしても御承知にならない。一方にそのお嬢様のおウチではお母様が脳の御病気で入院なすって、当分お帰りになる見込がなくなった上に、お父様のお妾《めかけ》さんだか何だかわからない女が、図々しく家政婦とか何とかいって乗込んで来てお嬢様のテル子さんを邪魔にするので、テル子様は泣きの涙で暮しておいでになるのが若様としては見ちゃいられないが、これはドウしたらいいだろうと仰言って、私に御相談が御座いました」
「ううむ。怪《け》しからん奴だ。親に相談すべき事を……ううむ」
と老伯爵が唸った。こうなると伯爵もへったくれもあったものじゃない。父親としての面目までも、丸潰れの型なしだ。しかし女将《おかみ》は一切お構いなしで、持って生まれた一瀉千里《いっしゃせんり》のペラペラを続けた。
「ホホホホホホホ、ほんとに怪《け》しからないお話で御座いますよ。こうした行き違いのソモソモがどこから始まっておりますか、私どもは無学で御座いますから、わかりませんが、とにかくこれは容易ならない伯爵家の大事件と存じましてね。万一このようなお話が、外へ洩れるような事があっては大変と存じましたから、わたくしの一存で、色々と苦心致しました揚句、山木さんのお留守居の人達に承知させまして、手前共の店に居ります娘たちの中《うち》で一番お嬢様によく肖《に》ておりますツル子と申します女優の落第生を、山木さんの処へ換え玉に入れて世間体《せけんてい》をつくろいまして、お嬢様を私の処へお匿《かく》まい申上げました。そう致しまして外務省から病気休暇をお取りになったコチラの若様と御一緒に、お好きの処へ新婚旅行にお出し申しましたが、もう十分にワインド・アップがお済みになって、東京のどこかへお帰りになっている筈で御座いますよ。近頃のお若い方は何でもスピードアップなさるのがお好きで御座いますからね」
「ううむ。いよいよ以てケシカラン……」
伯爵ネギリ倒し
「ホホホ。そう致しましたら何しろタッタ一人のお世継の事で御座いますから、伯爵様がキット若様をお探しになるに違いない、その御心配の潮時を見計《みはか》らいまして、私がコチラへお伺い致しまして、万事のお話を拝聴致しまして、失礼では御座いますが御家の御為になりますように取計らいたいと存じた次第で御座いますがね。まことに怪《け》しからぬ御恩報じとは存じましたが、無学な私どもの才覚には、ほかに致しようが御座いませんでしたのでね、ホホホ」
「……………」
「ところが、そのうちに私の処から換え玉に這入っておりましたツル子と申します女が退屈の余りで御座いましょう。ツイ芝居気を出しましてね。お嬢さん生活の退屈|凌《しの》ぎに、そのテル子さんの大切な犬が盗まれているのを、この鬚野先生に取返して下さるようにお頼みしたところから事が起りまして、とどのつまり、鬚野先生が私どもの処へ偶然お乗込みになって、こちらの小伯爵様とそのテル子嬢を御一緒にするかどうかっていう御相談がありましたから、これは何よりの事と存じまして、こうしてお伺い致しました次第で御座いますが、如何で御座いましょうか。この御縁談を御承知下さいませんでしょうか。新聞種になんかおなりになりませぬ中《うち》に、御承知になりました方が、御身分柄お得じゃないかと考えるので御座いますが、どのようなもので御座いましょうか」
今度は吾輩が驚いた。老伯爵の次には吾輩がペシャンコになってしまった。これ程手厳しく一パイ喰わされた事は未だ曾てない。彼《か》の断髪令嬢が真赤な掴ませものであろうとは……そうして真実に一切を支配している運命の神様がこの吾輩でも何でもなかった。この上海亭の女将《おかみ》であったろうとは……。
況《いわ》んや老伯爵に到っては徹底的にペシャンコになってしまったらしい。真青になって椅子の中に沈み込んでしまったのは気の毒千万であった。左右を見ると二人の警官はいつの間にか部屋を辷《すべ》り出てしまっている。
そこで吾輩は改めて老伯爵の前に進み出た。
「どうです伯爵閣下。御名誉とか、お家柄とかいうものばかり大切がって、切れば血の出る若い生命の流れを軽蔑なさるからコンナ事になるのです。伜には内兜《うちかぶと》を見透《みす》かされる、女将には冷やかされる……」
「アラ、冷やかしなんかしませんわ。勿体ない」
「これぐらい冷やかしゃ沢山だ……」
老伯爵はポロリポロリと涙を流し始めた。頬の肉をヒクリヒクリと引釣《ひきつ》らせながら、哀願するように女将の顔を見上げた。
「いや、わしが悪かった。わしが悪かった。ところで伜はどこに居る」
こうなると老人はみじめだ。何よりも先に考えるのは我児《わがこ》の事だ、ここまで来ると、ルンペンも華族もタダの人間だ。
「ホホホ御安心遊ばせ、伯爵様。若様は最前から……」
と云ううちに部屋の入口に並んでいる女たちを押分けて、スマートな旅行服の青年が颯爽《さっそう》と這入って来た。
「お父様、只今。お話は最前から廊下で承っておりました。御心配かけて相済みません。上海亭から別の自動車で追っかけて来ておりました」
「おお帰ったか」
老伯爵の両眼から新しい涙が溢れ出した。
「そうして……その……花嫁はドコに居る」
女将が振返って、背後《うしろ》に並んでいる五人の女を見渡した。するとその中から顔を真赤にした洋装の一人がおずおずと進み出て、老伯爵に向って一礼した。最前上海亭で一番最初に吾輩に質問を試みた鶴子だ。唇と頬ペタを紅《べに》ガラ色に塗って、見事な腕を肩の上から露出しているところは誰が見ても街の女としか思えない。
老伯爵は眼を剥《む》いた。眼を剥く筈だ。花嫁が淫売姿で堂上方《どうじょうがた》へ乗込むなんて手は開闢《かいびゃく》以来なのだから……。
「アハハハハ成る程。これじゃイクラ探してもわからないじゃろう。イヤ、お嬢さん、知らんで失礼したの……」
吾輩がシャッポを脱ぐと、令嬢も嫣然《にこやか》にお礼を返した。
「わたくしこそ……でも色々と御親切に、ありがとう御座いましたわ」
土管の中へ
「イヤ、名優名優。吾輩の前で、あれ程、シラを切っていた腹芸には感服した。その調子なら立派な伯爵夫人としての役もつとまるに違いない。ナアニ華族社会の女なんてものは偶然に取り当った地位を自慢にして、自分以外の女を如何にして軽蔑しようか、蹴落《けおと》そうかという事ばかり寝ても醒めても忘れていない下等動物でしかあり得ないのだからね。しかもその御主人の栄位栄爵というのも、先祖が関ヶ原あたりで豊臣家に裏切った手柄で、徳川将軍から貰った大名の地位が変形したものに過ぎないのだからね。これに反して市会議員となると何もかも独力で成り上ったのだから堂々たるものだ。その点からいうと華族なんぞより身分が上だ。唖川のお父さん、この花嫁を仇《あだ》やおろそかに思うてはなりませぬぞ」
小伯爵が横合いから吾輩の手を握った。
「イヤ、鬚野先生……どうもありがとう。実はあの上海亭の二階で貴方のお話を聞いているうちによっぽど飛出してお礼を申上げようかと思ったんですが、万一貴方が、親爺の廻し者だったら大変と思って……プッ……」
小伯爵は慌てて口に手を当てた。眼を丸くして老伯爵をかえりみた。老伯爵が不承不承に疎《まば》らな歯を露《あら》わして笑った。
「アハアハアハ。何でも宜《え》え。これから仲よくしてくれい」
吾輩は黙ってシャッポを脱いで、袖のないマントの肩で風を切って、豪華な応接間を出て行きかけた。
安心したので急に酔いが上がって来たものらしい。フラフラしながら扉《ドア》にぶつかった。
「おお、鬚野君。まあええじゃろ、ゆっくりして下さい。一パイ差上げるから」
「先生。御ゆっくりなさいませよ」
「イヤ、モウ運命の神様は辞職だ。アトは女将によろしく頼むわい」
「そう云わずとこの家《うち》に泊って行ってはドウかな」
「この家は暑いです。イヤ、若夫婦万歳」
吾
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