ともいいんですよ。[#「いいんですよ。」は底本では「いいんすよ。」]これはJORKからのお礼ですから」
「そんなに煽《おだ》てると今度は踊りたくなるぞ」
「どうぞ今日はお願いですから御存分に皆を遊ばしてやって下さいまし。さあさあお前達は何をボンヤリしているの……お酌をして上げなくちゃ」
「アハハハ。これあ愉快だ。裸一貫のお酌は天《あま》の岩戸《いわと》以来初めてだろう」
「妾《わたし》にもお盃を頂かして下さい」
「オイ来た。ところでお肴《さかな》に一つ面白い話があるんだが聞かしてやろうか」
「相済みません。先生にお酌を願って……どうぞ伺わして下さい」
「ウム。スレッカラシの君が聴いてくれるとあればイヨイヨありがたい。アハハ、憤《おこ》るなよ。スレッカラシというのは世間知りという意味だよ」
「面白いお話って活動のお話ですか」
「そんなチャチなんじゃない。ありふれた小説や芝居とは違うんだ。みんな現在、お前さんたちの眼の前で……この吾輩の椅子の上で進行中の事件なんだ。しかも、そこいらの活動のシナリオよりもズット面白い筋書が現在こうして盃を抱えながら進行しているんだから奇妙だろう――」
「まあ。それじゃ妾たちもその事件の中で一役買っているので御座いますか」
「もちろんだとも。しかもその筋書の中でも一番重要な役廻りを受持って、これから吾輩を主役としたスバラシイ場面を展開すべく、タッタ今活動を始めたばかりなんだ。モウ逃げようたって逃げる事が出来なくなっているんだ」
「まあ。否《いや》で御座いますよ先生、おからかいになっちゃ……気味の悪い……」
「イヤ。断然、真剣なんだ。まあ聞け……コンナ訳だ」
 吾輩はそこで今朝《けさ》からの出来事を出来るだけ詳しく話して聞かせた。
「どうだい。みんなわかったかい。だから詰まるところこうなるんだ。今度の事件は一切合財、みんな偶然の出鱈目《でたらめ》ばかりで持ち切っているんだ。吾輩が断髪令嬢の御秘蔵の犬と知らずに掻《か》っ払《ぱら》ったのも偶然なら、その犬を断髪令嬢の恋敵《こいがたき》の医学士の所へ持って行って売付けたのも偶然だ。しかもその犬が世界に二匹と居ない名犬だったのも偶然なら、その犬が肺病の第三期にかかったのも偶然。そこへ羽振医学士が又、偶然に来合わせて、吾輩が振りまわす拳固《げんこ》を高い鼻の頭で受け止めたのも偶然だ。つまるところ、そこに神様の思召《おぼしめし》が働いているに違いないと思うんだが、ドウダイ議員諸君……」
 議員諸君が顔と顔を見合わせ始めた。
「まあ……羽振っていう人は、あのウチへ来る医学士さんじゃないの……男ぶりのいい……ねえ女将《おかみ》さん」
「あのバレンチノさんよ。ね、お神さん。キットそうよ」
 女将が眼を白くして首肯《うなず》きながら襟元を突越した。椅子の上から一膝《ひとひざ》進めた。
「まあ。只今の先生のお話は、みんな本当で御座いますの」
「何だ。今まで作りごとだと思って聞いていたのかい」
「……ド……どこに居りますの。その医学士は……憎らしい」
「オットット、そう昂奮するなよ。何も直接にお前たちと関係のある話じゃないだろう」
「それが大ありなんですよ、馬鹿馬鹿しい」
 と女将が大見得《おおみえ》を切った。
「ふうん。女将さんと関係があるのかい」
「あるどころじゃないんですよ、阿呆《あほ》らしい。あの羽振といったらトテモ非道《ひど》いカフェー泣かせなんですよ。男ぶりがいいのと、医学士の名刺に物をいわせて、方々のカフェーを引っかけまわって、この家《うち》にだっても最早《もう》、二百円ぐらい引っかかりがあるんですよ。新店《しんみせ》だもんですから、スッカリ馬鹿にされちゃったんですよ。口惜しいったらありゃしない」
「フーム。そんな下等な奴だったのかい、アイツは……そんならモット手非道《てひど》く頬桁《ほおげた》をブチ壊してやれあよかった」
「そして……ド、どこに居るんですか」
「多分、耳鼻咽喉科かどっかに入院しているだろう」
「……あたし行って参りますわ。直ぐそこですから……ちょっと失礼……」
「ちょっと待て……」
「いいえ、棄てておかれません。今まで何度となく勘定書を大学に持って行ったんですが、どこに居るかサッパリわかりませんし……タマタマ姿を見付けても案内のわからない教室から教室をあっちへ逃げ、こっちに隠れしてナカナカ捕まらないのですよ。入院していれあ何よりの幸いですから……ちょっと失礼して行ってまいります」
「ま……ま……待て……待てと云ったら……いい事を教えてやる。確実に勘定の取れる方法を教えてやる。アイツは現金なんか持ってやしないよ」
「それはそうかも知れませんわねえ」
 女将は、すこし張合抜けがしたように椅子へ引返した。
「それよりもねえ、彼奴《あいつ》の親父の処へ勘定を取りに行くんだ」
「まあ。彼奴の家《うち》を御存じですの……それがわからないお蔭で苦労しているんですよ。誰なんですか一体、羽振さんの親御さんは……」
「知らないのかい」
「存じませんわ。教えて下さいな」
「あの有名な貴族院議員さ」
「まあああああ――アアア」
 五六人の女が部屋の空気を入れ換えるくらい大きな溜息をした。そのマン中に女将は頭を下げた。
「ありがとう御座います鬚野先生……ありがとう御座います。それさえ解れば千人力……」
「ま……ま……まあ早まるな。相手の家はわかっても、なかなかお前たち風情《ふぜい》が行って、おいそれと会ってくれるような門構えじゃないよ。万事は吾輩の胸に在る。それよりも落付いて一杯|注《つ》げ……ああいい心持になった。どうも婆《ばばあ》のお酌の方が実があるような気がするね」
「お口の悪い。若い女でも実のあるのも御座いますよ。ここに並んでおります連中なんか、上海でも相当の手取りですからね」
「アハハハ。あやまったあやまった。お見外《みそ》れ申しました。イヤ全くこんな酒宴《さかもり》は初めてだ」
「日本は愚か、上海にも御座いませんよ」
「ところでどうだい。最前からの話の筋の中で、羽振医学士の方は、吾輩の拳骨一挺で簡単に型が付いた訳だが、今一人居る断髪令嬢の許嫁《いいなずけ》の小伯爵、唖川歌夫の方はドウ思うね、諸君。その親孝行の断髪令嬢のお婿《むこ》さんに見立てて、差支え無いだろうか。吾輩は赤ゆもじ議員諸君の御意見通りに事を運びたいのだが……」
「ほんとに貴方は神様みたいなお方ですわねえ。何もかも見透して……」
「ところが、今度の事件に限って吾輩は、すこし取扱いかねているのだ。未だその断髪令嬢の涙ながらの話を聞いただけなんでね。唖川小伯爵がドンナ人間だか一つも知らずにいるんだ。そこへ取りあえず羽振医学士にぶつかって、コイツはイケナイと気が付いたから、筋書の中から叩き出してしまった訳なんだが、しかし、これから先がどうしていいかわからないので困っているんだ」
「まったくで御座いますわねえ、わたくし共でも、見当が付きかねますわ」
「ウム。だから実は君等にこうして相談してみる気になったもんだがね、一つ考えてくれよ。いいかい。この吾輩が詰まるところ運命の神様なんだ。そうして君等の指図通りにこの事件の運命を運んでみようと思ってこうして相談を打《ぶ》っているんだ。ドンナ無理な筋書でも驚かない。ドンナ無鉄砲な場面でも作り出して見せようてんだから、一つ大いに意見を出してもらいたいね」
「……センセー……ホントに妾《わたし》たちの考え通りにして下さる?」
 吾輩の横に腰をかけていた一番若い、美しい、切前髪《きりまえがみ》の娘が瞳《め》を光らして云った。
「するともするとも。キットお前達の註文通りに筋書を運んで見せるよ。実物を使って実際に脚色して行くという斬新奇抜、驚天動地の世界最初の実物創作だ。喜劇でも悲劇でもお望み次第に実演させて見せる……」
「でもねえ先生……」
 女将の横に居る肥《ふと》っちょの一番肉感的な女が、細長い眉を昂《あ》げて、薄い唇を飜した。
「あたし疑問が御座いますわ」
「あたしもよ……どうも初めっからお話が変なのよ」
「あら、あたしもよ」
「ほう、みんな吾輩の話に疑問があるって云うんだな。ふうむ、面白い。念のために断っておくが、俺はチットばかりアルコールがまわりかけている。しかしイクラ酔っ払っても、話を間違えた事は一度も無い男だぞ」
「アラ、先生。そうじゃないんですよ。先生のお話がヨタだなんて考えてるんじゃありませんわ。先生のお話が真実百パーセントとして聞いても、あたし達の常識が受け入れられないところがあるから……」
「ウワア、こいつは驚いた。恐しく八釜《やかま》しいのが出て来た。何かい、君は弁護士試験か、高文試験でも受けた事があるのかい」
「そんなことありませんわ。これだけ五人でお給金を貯《た》めて上海の馬券を買って、スッカラカンになったことがあるだけですよ」
「イヤ、これはどうもオカカの感心、オビビのビックリの到りだ。君等にソレだけの見識があろうとは思わなかった」
「まったくこの五人は感心で御座いますよ。上海でこの店が駄目になりかけた時に、五人が腕に撚《より》をかけて、旦那を絞り上げて日本へ帰る旅費から、この店を始める費用まで作ってくれたので御座いますよ」
「……吾輩……何をか云わんやだ。この通りシャッポを脱ぐよ。君等こそプロレタリヤ精神の生《き》ッ粋《すい》だ。日本魂の精華だ。人間はそうなくちゃならん。その精神があれば日本は亡びてもこの了々亭だけは残るよ」
「そんな事どうでもいいじゃありませんか先生。それよりも今のお話ですね」
「うんうん。どこが怪しい」
「怪しいって先生……その唖川歌夫っていう人も、いい加減気の知れない人ですけど、そのコンクリート市会議員の断髪令嬢っていうのが、一番怪しい人物だと思いますわ」
「ふうむ。これは驚いた。何で怪しい。この事件の女主人公《ひろいん》が怪しいとは言語道断……」
「あたし久し振りに日本に帰って来たんですから、今の女の人の気持はよくわかりませんけどね、ソンナに内気な親孝行な人が、そんな年頃になるまで断髪しているものでしょうか……許嫁の人から貰った犬が居なくなったといって泣くような人が……」
「フウウム、これは感心したな。ナカナカ君等の観察は細かい。そこまでは考えなかった」
「ええ、きっと眉唾もんよ、そのお嬢さんは……」
「あたし日本の断髪嬢嫌いよ、テンデ板に附いていないんですもの。汚ない腕なんか出して……」
「アハハ、これあ手厳しい」
「当り前よ。腕を出すんなら子供の時分から腕を手入れしとかなくちゃ駄目よ。イクラ立派な肉附きの腕だっても、葉巻のレッテルみたいな種痘《ほうそう》のアトが並んでいたり、肘《ひじ》の処のキメが荒いくらいはまだしも、馬の踵《かかと》みたいに黒ずんで固くなって捻《つね》っても痛くも何ともないナンテいう恐ろしいのを丸出しにしているのは、国辱以外の何ものでもアリ得ないと思うわ」
「ヒヤア、これは恐れ入った。国辱国辱、正に国辱。銀座街頭の女はみんな落第だ」
「上海の乞食女《やち》にだってアンナのは一人も居やしないわ。どんな男でもあの肘の黒いトコを見たら肘鉄《ひじてつ》を喰わない中《うち》に失礼しちゃうわ」
「断髪だってそうよ。櫛目のよく通る日本人の髪を切るなんてイミ無いわ」
「まあ待て待て。脱線しちゃ困る。ほかの断髪嬢ならトモカク、あのテル子嬢の断髪なら、お母さん譲りだけあってナカナカ板に附いているぞ」
「おかしいわねえ。そんなお母さんだったら娘さんはイヤでも反感を起して日本髪に結《ゆ》うものだけど……妾《わたし》ならそうするわ」
「ちょいと先生。その伯爵様っていうのも妾、何だか怪しいと思うわ。先生のお話の通りだったら」
「フウン。容易ならん事がアトカラアトカラ持上って来るんだな、これあ。どこが怪しい、名探偵君……」
「だって、そんな冷淡な許嫁なんか恋愛小説にだって無いわ。せいぜい一日に一度ぐらいは訪ねて来なくちゃ嘘よ」
「それにねえ先生。その断髪令嬢のお父さんのコンクリート氏が引っぱられてからという
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