ていなければならない。同時にこれに反する場合には、やはりこれに反する条件の下に名前を選まなければならない。さもないと読者はペテンにかけられたような不愉快を心の片隅に残すところがあるのだから、ナカナカ事が面倒である。
 おまけにそこへ作者の好みが附随して来るのだからイヨイヨ事が面倒になる。徳富蘆花は片岡浪子を美人と感ずるかも知れないが、私には大した美人とは感じられない。中年以上のオバサンで好人物には違いないが、或《あるい》は相当のオシャベリではないかとさえ感じられる。それだけ蘆花と久作の頭のネウチが違うのだと笑われたらそれ迄であるが、しかし、それは腕前の問題ではない。個性の問題と思う。

 探偵小説の中では、昔風に悪人と善人とを区別しなければならない場合が非常に多い。ズット昔(今でも歌舞伎なぞ)では悪人の人相が悪く、名前までも毒々しいが、この頃では……特に探偵小説の中では……人相の柔和な、美しい人物が思いもかけぬ大悪党だったり、札附の前科者が善人であったりしなければならない事が多いのだから、そんな感じの名前を最初から考えておく必要がある。衷心から気心の優しそうな名前の人間が、最後に手錠を
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