銚子を傾けた父親は、赤鬼のようになりながら大きな声で、今度初めて行った露西亜《ロシア》の話をした。そのあいまあいまにチエ子がこの頃は特別に温柔《おとな》しくなった話をきかされたり、久し振りに結《ゆ》ったという母親の丸髷《まるまげ》を賞めて、高笑いをしたりしていたが、そのあげく、思い出したように柱時計をふり返ってみると、飯茶碗をつき出して怒鳴った。
「オイ飯だ飯だ。貴様も早く仕舞って支度をしろ。これから三人で活動を見に行くんだ」
「エ…………」
「活動を見にゆくんだ……四谷に……」
お給仕盆をさし出しかけていた母親の顔がみるみる暗くなった。魘《おび》えたような眼つきで、チエ子と、父親の顔を見比べた。
「何だ……活動嫌いにでもなったのか」
と父親は箸《はし》を握ったまま妙な顔をした。母親は、泣き笑いみたような表情にかわりながら、うつむいて御飯をよそった。
「そうじゃありませんけど……あたし今夜何だか……頭が痛いようですの……」
父親は平手で顔を撫でまわした。
「フ――ン。そらあいかんぞ。半年ぶりに亭主が帰って来たのに、頭痛がするちう法があるか……アハハハハまあええわ、それじゃ去年送っ
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