さるぐつわ》を噛ました上で、二千円の貯金の通帳と印形《いんぎょう》を奪って逃走した。アトにはオモチャのピストルを一梃落しておいた。
 程なく帰って来た蟹口は、この体《てい》を見て大いに狼狽し、警察に訴えようとしたが、ツル子は私の恥が明るみに出るから厭《いや》だと主張して、とうとう訴えさせなかった。そうして、それから三日ばかり経った頃、
「妾《わたし》は一旦、泥棒に身を穢《けが》された以上、貴方《あなた》のような潔白な、正しい人の妻になる事は出来ません。思い切って死にますから縁のない昔と諦めて下さい。貴方の好きな人と結婚して下さい。妾は人の知らない処に死骸を隠したいのですから、どうぞ警察に届けないで下さい。妾の恥を曝《さら》さないようにして下さい。妾の一生のお願いです。
 妾は泣きながら死にます。死んで貴方の幸福を祈ります」
 という意味の遺書《かきおき》を残して、真昼間《まっぴるま》、家出してしまった。好人物の蟹口はこの遺書《かきおき》を真面目に信じて、届出《とどけで》なかったらしい。

 二人は、それで安心して道行をきめ込み、一旦、山陰地方の乗合《バス》会社に身を潜めたが、二千円の金
前へ 次へ
全16ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング