会を失していた。
 ところが一昨昭和七年の夏、蟹口は突然に二三日の予定で神戸に行く事になった。何でも千番トラックの主人の命令で、神戸へ行って、中古《ちゅうぶる》のトラックを二台仕入れて来る……という話であったが、出かける時に、
「戸若君。済まんが俺の留守中に、植木鉢へ水を遣ってくれんか。朝はツル子が遣るが、午後になると店からドウしても手が離されんけに……な。頼んますど……」
 と呉々《くれぐれ》も云いおいて行った。
 戸若は喜んで引受けた。翌《あく》る日は午後から半日、暇を貰って頼まれた通りに蟹口の処へ来て、ツル子に色々と永々《ながなが》の礼を述べた。それから植木鉢の世話をツル子の指図通りにしたが、その時に、お互いに魔がさしたとでも云おうか。ツル子が無理に引止めて戸若に夕飯の御馳走をしたのがキッカケとなって、二人は退引《のっぴき》ならぬところへ陥込んでしまった。

 二人がズルズルと深間《ふかま》に陥る早さよりも、そうした噂《うわさ》の立つスピードの方が早かった。
 すると、その噂を聞いたものか、どうだかわからないが、蟹口は突然に、戸若にもダンマリで千番トラックを引いて、ツル子と共に淀
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