溜息をした。覚悟をきめたらしく、次のような奇怪な陳述を初めた。

 戸若運転手は鹿児島の生れで、昭和六年に同郷の先輩蟹口運転手を頼って上京し、一所に東京虎の門の千番トラックに勤めていた。蟹口は好人物の変り者という評判であったが、兄貴分だけに戸若を色々と世話して、着物や金を与えた事が度々であった。だから戸若は蟹口を深く恩に着ていた。
 戸若は千番トラックのギャレジの二階に寝泊りしていたが、蟹口は、淀橋《よどばし》で煙草店を出している妻女ツル子(二十五)の処から通勤していた。その妻女のツル子というのは、頑固な、グロテスクな顔をした蟹口とは正反対に江戸前のスッキリした別嬪《べっぴん》で、この上なしの亭主孝行、又蟹口も自烈度《じれった》いくらいの嬶《かかあ》孝行というのが評判であった。
 蟹口夫婦の間に子供はなかったが、蟹口は植木物が好きで、狭い庭に縁日から買って来た朝顔や、茄子《なす》や、トマトの鉢を並べ、店先にも見事な朝顔や、菊を飾ったりしたので、それが目印になって煙草店が益々繁昌して行くらしかった。戸若は一度、そのツル子に会って今までの礼を云いたい云いたいと思っていたが、忙しいのでツイ機
前へ 次へ
全16ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング