まあせ》を掻きながら今一度、静かに左右を振返ってみたが、その彼の怯《おび》えた視線は、タッタ今通って来た台所の角の、新しい黒い雨樋の処へピタリと吸い寄せられた。同時に彼の全神経が水晶のように凝固してしまった。
そこには離座敷から、彼の行動を跟《つ》けて来たらしい花嫁の初枝の、冴え返った顔が覗いていた。昨夜のままの濃化粧と、口紅のクッキリとした、高島田の金元結《きんもとゆい》の艶《なま》めかしい、黒い大きな瞳を一パイに見開いた人形のような瓜実顔《うりざねがお》が、月の光りに浮彫《うきぼ》りされたまま、半分以上雨樋の蔭から覗き出して、彼の姿を一心に凝視しているのであった。
彼はソレを月の光りに照し出された巴旦杏の花の幻覚かと思った。右手で左右の眼をグイグイと強くコスッて今一度よく見直した。
それは、たしかに花嫁の初枝の顔に相違なかった。鬢《びん》のホツレ毛が二三本、横頬に乱れかかっているのが、傾いた月の光りでハッキリと見えた。その二つの黒い瞳が、マトモに此方を凝視したまま大きく、ユックリと二つばかり瞬《またた》いたのが見えた。同時に、その真白い頬から大粒の涙の球が、キラリキラリと月の
前へ
次へ
全37ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング