とする度に、帯際を掴まれている澄夫は式台の上でヨロヨロとよろめいた。
「コレコレ。離せと云うたら。恐ろしい力じゃ。コレコレここ、離しおれと云うたら……云うたて聞こえんけに往生するのう。袴の紐が切れるてや。ええ若先生。この袴と帯を解かっしゃれ。アトは私が引受けますけに……」
 今にも気絶しそうに生汗を滴《た》らしながら唖女の瞳を一心に凝視していた澄夫は、この時やっと気を取直したらしく、伝六郎の顔を見て真赤になった。暗涙を浮かめた瞳で背後の栗野博士を振返ると、すこしばかり頭を下げた。やっとの思いで唇をわななかした。
「誠に……恐れ入りますが、モルフィンを少しばかり、お願い出来ますまいか……一プロ……ぐらいで結構ですが……」
「オット。モルヒネなら失礼ながら私が作りましょう。長らくこの病院の留守番をさせられて、案内を知っておりまするので……」
 栗野博士の背後から頓野老人が山羊鬚を突出した。
「二番目の棚の右の端で御座ったの」
 と云ううちに自分で二つ三つうなずきながら、大仰に袴の両岨《りょうそわ》を取った頓野老人は、玄関脇の薬局にヨチヨチと走り込んだ。ホントウにこの家の案内を知っているらし
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