首を捻《ね》じ向けて舌なめずりをした。
「……何かい。何が可笑《おか》しかい。俺の英語が何が可笑しい。まだまだ知っとるぞ畜生。なあ頓野先生。そうじゃろがなあ。男ぶりチウタならトーキー活動のロイドよりも、まっとまっとええ男じゃしなあ。阪妻《ばんつま》でも龍之介でも追付《おいつ》かん。トーキー及ばんチウ言葉は、これから初まったゲナ……ええ。笑うな笑うな。貴様達はトーキー活動ちうものをば見た事があるか。あるめえが。この世間知らずの山猿どもが。キングコングの垂《た》れ粕《かす》どもが……」
「アハハハ……もうわかったわかった。もう止めてくれ給え伝六君。腹の皮が捩《よ》じ切れる。アハハハハ……」
「オホホホホホホホホホ」
「まあ、そう云わっしゃるな。その盃をばツーッと一つ片付けさっしゃい。なあ若先生。俺あ要らん事は一つも云いよらん。皆に云うて聞かせよるとこじゃ。なあ……若先生は村でタッタ一人のお医者様じゃ。しかしこげな山の中の素寒貧村《すかんぴんむら》には過ぎた学士様じゃ。先代の仲伯先生も云うちゃ済まんが、学校は出ちゃ御座らん漢方の先生じゃ。今度の医師会長のお世話で、隣村の頓野先生のお嬢さん……しかも女学校をば一番で卒業さっしゃったサイエンス……ええ……何が可笑しいか。馬鹿ア。ナニイ……サイエン? サイエンが本真《ほんま》チウのか……馬鹿あ。ヘゲタレエ。スの字が附くと附かぬだけの違いじゃないか。ウグイスとウグイ……カマスとカマ……ナニイ大違いじゃあ……大違いじゃとも。サイエンスの方がサイエンよりもヨッポド上等じゃ。問題になるけえ。上等の証拠にコレ程の別嬪《べっぴん》さんが日本中に在ると思うか。なあ医師会長さん。サイエンスちうのは別嬪さんの事だっしょう。西洋の小野の小町というてみたような……ヘエヘエ。それみろ。俺の英語は本物じゃ。よう聞いとけ。ロイドちうのは色男の事ぞ。舶来の業平《なりひら》さんの事ぞ。セルロイドと間違えるな。その日本の業平さんと、小野小町とこの村で結婚さっしゃる。新式の病院を開業さっしゃる。お蔭で村の者が一人残らず長生きする。なあ……これ位|芽出度《めでた》い事は無いなあ医師会長さん。死んだ先生も喜んで御座ろう」
 伝六郎は床の間の上に並んで架《か》かっている二枚の額を見上げた。古びた金縁の中に極めて下手な油絵の老夫婦の和服姿が乾涸《ひから》びたままニコニコし
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