笑う唖女
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)芽出度《めでた》い

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)消防|頭《がしら》、

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]《も》ぎ
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「キキキ……ケエケエケエ……キキキキッ」
 形容の出来ない奇妙な声が、突然に聞こえて来たので、座敷中皆シンとなった。
 それはこの上もない芽出度《めでた》い座敷であった。
 甘川《あまかわ》家の奥座敷。十畳と十二畳続きの広間に紋付《もんつき》袴《はかま》の大勢のお客が、酒を飲んでワイワイ云っていた。奇妙な謡曲を謡《うた》う者、流行節を唄い唄い座ったまま躍《おど》り出しているもの……不安とか、不吉とかいう影のミジンも映《さ》していない、醇朴《じゅんぼく》そのもののような田舎《いなか》の人々の集まりであった。それが皆、突然にシンとしてしまったのであった。
「……何じゃったろかい。今の声は……」
「ケダモノじゃろか」
「鳥じゃろか」
「猿と人間と合の子のような……」
「……春先に鵙《もず》は啼《な》かん筈じゃが……」
 皆、その声の方向に顔を向けて耳を澄ました。二間の床の間に探幽の神農《しんのう》様と、松と竹の三幅対《さんぷくつい》。その前に新郎の当主甘川澄夫と、新婦の初枝。その右の下手に新郎の親代りの村長夫婦。その向い側には嫁女《よめじょ》の実父で、骨董品然と痩《や》せこけた[#「痩《や》せこけた」は底本では「痩《や》せこせた」]山羊鬚《やぎひげ》の頓野《とんの》羊伯と、その後妻の肥った老人。仲人役の郡医師会長、栗野医学博士夫妻は、流石《さすが》にスッキリしたフロックコートに丸髷《まるまげ》紋服で、西日《にしび》の一パイに当った縁側の障子《しょうじ》の前に坐っていた。その他、村役場員、駐在所員、区長、消防|頭《がしら》、青年会長、同幹事といったような、村でも八釜《やかま》しい老若が一ダースばかり下座《しもざ》に頑張って、所狭しと並んだ田舎料理を盛んにパク付いては、氏神様から借りて来た五合、一升、一升五合入の三組の大盃を廻わしている。皆相当酔っているとはいうものの、まだ、ほんの序の口といってもいい
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