させられてしまった。永い年月の間、幾多の手術に当って来た老成の看護婦でも、こうした手術者の意図に対する敏感さと、手練の鮮やかさを滅多に持ち合わせていないであろう事を、私はシミジミ思わせられた事であった。
しかし彼女が開業医なるものの患者に対して如何《いか》に素晴らしい理解を持っていたか。そのために私等一家が如何に彼女に感謝させられていたか。そのために病院内の仕事を、ほとんど非常識に近いところまで彼女に任かせ切っていたか、そうしてそのために、以下記述するような「謎の女」式の活躍の自由を、如何に多分に彼女に許しておったかという事実は、恐らく何人も想像の外であろうと思う。
私は開業当時から、誰もするように仕事の時間割をきめていた。午前十時から午後一時まで、午後三時から六時迄を診察治療の時間ときめて、六時以後は直ぐに近くの紅葉坂《もみじざか》の自宅に帰って、家族と一緒に晩餐《ばんさん》を摂《と》る事にきめていたが、開業医の当然の責任として、帰ると直ぐに入院患者から何でもない苦痛のために慌《あわただ》しく病院に呼び戻される。または所謂《いわゆる》、草木も眠る丑満時《うしみつどき》に聞き分けのない患者から呼び付けられる事が何度も何度もある事を、当初から覚悟していた。これは医師として私的に非常な苦痛を感ずる事柄に相違ないのであるが、しかし出来るだけ勤めて遣《や》ろう。親切にして遣ろう。苦痛をなくするのが目的で、病気を治すのが目的じゃないのが一般入院患者の心理状態なのだから……と言ったような悟りまで開いて待ち構えていたのであるが、意外にも、私が開業以来、そんな事が一度もないので、次第に不思議に感じ始めた。あるいはまだ自宅に電話が引いてないせいではないかとも思ったが、それにしても怪訝《おか》しいと言うので、よく姉たちと話合ったものであったが、この不思議は間もなく解けた。それは実に姫草ユリ子一人の働きである事が、よく注意しているうちに判明して来た。
彼女は麻酔の醒《さ》める頃合いとか、手術後の苦痛を訴え始める時間とか、または熱の高下と患者の体質とが関連して起る苦痛の度合いとか言うものに就いて看護婦特有の……ソレ以上の親切な敏感さを持っていた。いつも患者が何か言い出す前に先を越して手当てをしたり、予告をして慰めたりしていたものらしい。時としては勝手に患者の耳や鼻を掃除したり洗ったり、甚《はなはだ》しい時は私に断らずにモヒの注射、その他の鎮痛、麻酔手段を取った事が爾後《じご》の経過によって判明した事もあったが、しかし、それにしても患者の喜びは大したものであったらしい。ほかの看護婦に訴えてもマゴマゴしたり、躊躇《ちゅうちょ》したりしている事を彼女はグングン断行して安静に一夜を過ごさせたので、臼杵病院の姫草さんと言う名前が、私の名前よりも先に患家の間に好評を博した事は、決して不自然でなかった。無論、私が助かった事も非常なものであるにはあったが……。
そればかりではない。
彼女の持って生まれた魅力は事実、男女、老幼を超越したものがあった。この点では私の家族たちも唯一言「エライ」と評するよりほかに批評の言葉を発見し得ないくらい、彼女の手腕に敬服していた。
老人は老人のように、小児は小児のように、男は男のように、女は女のようにと言ってみれば何でもない事ではあるが、そうしたあらゆる種類の患者の病状を一々親切に聞いて遣って、院長たる私を信頼させて、安心して診察、手術を受けさせて、気楽に入院させて、時としてはその家庭の内情までも聞いて遣って、同情し、励まし、慰めつつ、無事に退院させて遣る……その手際と言ったら到底、吾々凡俗の及ぶところではない。神経質な、根性のヒネクレタ老人や、ヤンチャな過敏な子供までも、モウ一から十まで姫草さん姫草さんと持ち切りで、ほかの二名の看護婦はあれどもなきが如き状態であった。アタジケない話ではあるが、患者が退院する時なぞは、院長の私のところへ謝礼をするよりも先ず姫草さんに……という傾向になってしまったもので、子供なんぞは泣いて帰らないという。ヒメちゃんと一緒に病院にいるんだと言って聞かない。そのほかの患者でも、退院して後に彼女宛に寄越す礼状の長いこと長いこと。受付兼会計係をしている姉が「十二銭も貼るほど手紙に書く事が、どうしてあるのだろう」と呆《あき》れるくらいであった。
さらに驚くべき事実は(実は当然の帰結かも知れないが)彼女のお蔭で私の患者がメキメキと激増した事であった。この点、私の開業は非常に恵まれていたと同時に、彼女……姫草ユリ子と名のるマネキン兼マスコットに絶大の感謝を払わなければならなかった。受診に来る患者の甲乙丙丁が、何につけても姫草さん姫草さんと尋ね求める態度を見ると、ちょうど臼杵病院の中に姫草ユリ子が開業をしているようで、多少の自信を腕に持っている私も、彼女のこうした外交手腕に対しては大いに謙遜の必要を認めさせられていた次第であった。
私は彼女に二十円の給料を払っていた。これは決して法外に安い給料とは思わなかったが最近、彼女の功績を大いに認めなければならぬ状態を認めて、姉や妻と寄々相談をしていた次第であったが、折も折、ちょうどそのさ中に、実に奇妙とも不思議とも、たとえようのない事件が彼女を中心にして渦巻《うずま》き起って、遂に今度のような物凄い破局に陥ったのであった。しかもその破局のタネは彼女自身が撒《ま》いたもので、すでに彼女が私の処に転がり込んだ最初の一問一答の中に、その種子《たね》が蒔《ま》かれていたのであった。
彼女の郷里は青森県の酒造家で、裕福な家らしく聞いていたが、その後の彼女の朗らかな性格や、無邪気な態度を透して、そうした事実を私等は毛頭疑わなかった。
一番最初の問答に出た彼女の兄なる人物は、彼女が来てから間もなく倉屋の黒羊羹《くろようかん》を沢山《たくさん》に持って病院に挨拶に来た。もっともそれは私が帰宅したアトの事で、誰もその兄の姿を見届けたものはいなかったが、ちょうど私が自宅で夕食を終ってから、何かしらデザートじみた物が欲しいと思っているところへ、病院の姫草ユリ子から取次電話がかかって来た。
「先生。只今《ただいま》兄がお礼に参りましたの。先生がお好きって妾が申しましたからってね、倉屋の羊羹を持って参りましたの……イイエ。もう帰りましたの。折角お休息《やすみ》のところをお妨げしてはいけないってね。どうぞどうぞこの後とも宜《よろ》しくってね……申しまして……ホホ。そちらへお届け致しましょうか……羊羹は……」
「ウン大急ぎで届けてくれ。ありがとう」
と返事をしたが、恐らく甘く見られたと言ってもこの時ぐらい甘く見られた事はなかったろう。
彼女の郷里からと言って五升の清酒と一|樽《たる》の奈良漬が到着したのは、やはり、それから間もなくの事であった。何でも郷里の人に両親から言伝《ことづけ》た品物だとかで、例によって私が帰宅後に、病院に居残っていた彼女が受け取ったという話であったが、彼女が汗を流して提《ひっさ》げて来た酒瓶と樽にはレッテルも何もなく、きわめて粗末な、田舎臭い熨斗紙《のしがみ》が一枚ずつ貼り付けて在《あ》る切りであった。一口味わってみた私は、
「ウン。ナカナカ江戸前だな。ピインと来るね。奈良漬も三越のに負けない」
と思わず口を辷《すべ》らしたが、恐らくそれが図星だったのであろう。樽の縄を始末していた彼女は、ただ赤面した切りでコソコソと病院に逃げ帰ったようであった。
もっともその時に私は彼女の幸福を祈っている兄や両親の事を思い出して、相当御念入りにシンミリさせられていたから、彼女のそうしたコソコソした態度にはチットモ気付かなかった。彼女のアトを見送りながら、
「タッタ二十円しか遣らないのになあ」
とテレ隠しみたような冗談を言ったくらいの事であった。
ところでここまでは誠に上出来であった。この辺で止めて置けば万事が天衣無縫《てんいむほう》で、彼女の正体も暴露されず、私の病院も依然としてマスコットを失わずにすんだ訳であったが、好事《こうず》魔《ま》多し、とでも言おうか。彼女独特のモノスゴイ嘘吐きの天才が、すこし落ち着くに連れて、モリモリと異常な活躍を始めたのは、是非もない次第とでも言おうか。
彼女の異常な天才が、K大耳鼻科の白鷹君と私の家庭を形容の出来ない、薄気味の悪い悪夢の中に陥れ始めた原因というのは、恐らく彼女自身も気付かなかったであろう、きわめて些細な出来事からであった。
お恥かしい話ではあるが開業|※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》の好景気に少々浮かされ気味の私は、いつの間にか学生時代とソックリの瓢軽者《ひょうきんもの》に立ち帰っていた。つまらない駄洒落《だじゃれ》や、軽口や、冗談を連発して患者の憂鬱を吹き飛ばしたり、
「オイオイ。小さい解剖刀《メス》を持って来い。小さなメスだ。お前じゃないよ。間違えるな」
と姫草に言ったりしたが、そのたんびにユリ子はキャッキャと笑って立ち働きながら言った。
「まあ臼杵先生は白鷹先生ソックリよ」
「何だい。その白鷹って言うのは……俺に断らないで俺に似てるなんて失敬な奴じゃないか」
「まあ。臼杵先生ったら……白鷹先生は、あなたよりもズットお年上で、K大耳鼻科の助教授をしていらっしゃるんですよ」
「ワア。あやまったあやまった。あの白鷹先生かい。あの白鷹先生なら、たしかに俺の先輩だ」
「ソレ御覧なさい。ホホホ。K大にいる時に白鷹先生は、いつも手術や診察の最中にいろんな冗談ばかり仰言って患者をお笑わせになったんですよ。鼓膜切開の時なんかは、患者が笑うと頭が動いて、トテモ危険なんですけど、白鷹先生の手術はステキに早いもんですから、患者が痛いなんて感ずる間もなく、笑い続けておりましたわ。そんなところまで臼杵先生のなさり方とソックリでしたわ」
なぞとユリ子は、あとで言訳らしく説明するのであったが、こうした最大級の真に迫ったオベッカが私のプライドを満足させた事は言う迄もない。もちろんこれは彼女が、彼女の実家の裕福な事を証明して、彼女の暗い、醜い前身を隠そう。同時に彼女の儚《はか》ない空想を現実に満足させようとしたのと同じ心理から出た作り事で、彼女がK大耳鼻科、助教授の要職にいる人から如何に信頼を受けておったかと言う事を、具体的に証明したいばっかりの一片の虚構に過ぎなかったのであったが、しかしその時の私が、どうしてソンナ事に気付き得よう。かねてから母校の先輩として尊敬していた白鷹先生の名前を久し振りに聞いた私は、喜びの余り眼を丸くして彼女に問いかけたのであった。
「ホオ。それじゃ白鷹先生は今でもK大におられるのかい。チットモ知らなかった」
彼女は平気で……否……むしろ得意そうに白鷹先生の話に深入りして行った。
「ええ、ええ。手術にかけたらトテモお上手っていう評判ですわ。妾、こちらへ参りますまで先生にドレくらい可愛がられたかわかりません。奥様からも、それはそれは真実の娘のようにして頂きましてね。今にキット良い処へ嫁付《かたづ》けて遣るって仰言って、着物なんか幾つも頂戴《いただ》いて参りましたの。今、平常《ふだん》に着ておりますのも奥さんのお若い時のを、派手になったからって下すったのですわ」
私はスッカリ彼女の話に引っぱり込まれてしまった。蔭ながら白鷹先生に敬意を表すべく両手を揉《も》み合わせたものであった。
「なあんだ。白鷹先生なら僕の大先輩だよ。九大にいる時分に御指導を受けたんだから、もしかすると僕の事を御存じかも知れない。いい事を聞いた。そのうちに是非一度、お眼にかかりたいもんだが……」
「ええ、ええ。そりゃあ必定《きっと》、お喜びになりますわ。先生の事も二、三度お話の中に出て来たように思いますわ。臼杵君はトテモ面白い学生だったって、そう仰言ってね」
「ふうん。僕は茶目だったからなあ。お宅はどこだい」
「下六番町の十二番地。奥さんはトテモ上品でお綺麗な、九条武子様みたいな方ですわ。久美子さんと
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