コリと緑青《ろくしょう》だらけになって転がっているのでした。その背中の下の方には現在の帝室技芸員で、帝展の審査員として日本一の有名な彫塑家、朝倉星雲氏のお名前がハッキリと彫り込んで在るのでした。
すばしこい川村書記さんは、どうかしてその事を探《さぐ》り出されたのでしょう。何かの序《ついで》にコッソリと上京して朝倉星雲先生にお眼にかかって、その彫塑の由来をお尋ねになると、何も御存じない星雲先生はアッサリとお答えになったそうです。
「ハア。あれですか。あれは私が森栖先生への御恩返しの一端にもと思って作ったものです。先般……三年ばかり前でしたか、ある温泉場から森栖先生のお手紙が来まして、頼みたい仕事があるから来てくれという文面でしたから早速行ってみますと、自分の胸像を作ってくれとのお頼みです。森栖先生は私の母方の伯父で、私が中学を出るまで学費を出して下すった大恩人ですから何条、否やを申しましょう。早速その温泉場付近の瓦焼場から理想的な土を取って来て一週間ばかりで胸像を作り上げ、薬品店にあるだけの石膏を買い集めて型を取りまして東京に持ち帰り、自分で監督して鋳造させまして、そのまま何処の展覧会へも出さずに、直接に森栖先生のお手許へ送り届けたものですが……そうですか。それではまだ建たずにいるのですか。……ヘエ……そうですか。イヤイヤ。失礼ですが謝礼などは一文も頂戴しようとは思っておりません。森栖先生のような徳望の高いお方のお姿を私のような者の手で故郷に残す機会を得ました事は、実に願ってもない名誉です。万一それが御校の校庭に据わるような場合に、土台工事とか、台石とかの仕事に就いて御用がありましたならば、何卒《どうぞ》御遠慮なく私にお知らせを願います。決して御迷惑はかけませんから、私が自費でお伺いして、玉垣とか、植込みの工合とか言うものを、出来るだけ御経済になるように指図させて頂きたいと思います。職人任せに致しますと、銅像とのウツリが悪くなって、何もかも打毀《ぶちこわ》しになる虞《おそれ》がありますから……」
これは傴僂の川村さんが、星雲先生の口真似をなすったのを、私がまた口真似を致したお話ですが、この話を聞いた川村書記さんは、校長先生の腕前のスゴイのに今更のように感心してしまわれました。そうして案外に寄付が集まり過ぎたお蔭で、銅像が立像になりそうになって来たので、すっかり面喰って弱っておられる校長先生の味方になる決心をされました。
……この頃では相当の人の手にかけて銅像を建てるとなると、胸像一つでも五千円や一万円はかかる。立像になれば二、三万円ぐらいは費用を見積らなければならない事。だから胸像だけでもまだまだ寄付金額が足りない……。
と言ったような事なぞをコソコソと説明してまわって、とうとう立像説を打毀し、もう出来上っている胸像を使って集まっている五千何百円の大部分を二人で山分けにする計画を完成して、校長先生をホッとおさせになったのでした。そのあげくに川村さんはあの廃屋の中でこう言われました。
「そこで来る三月の二十二日に今度の卒業生の謝恩会があります。その時に優等生に代表させて寄付金の金額を先生に捧げさせます。そこでその金を今一度、私にお預けになって、銅像建設に関する一切の事務を川村書記に任せると一言仰言って下さい。そこで私が壇上に上って、ちょうど有名な朝倉星雲先生が郷土の出身だから、製作方をお頼みする事にした。星雲先生は喜んで引き受けられたから、遠からず出来上って来るはずとか何とか報告して拍手させてしまえばもうこっちのものです。細工は粒々《りゅうりゅう》仕上げを御覧《ごろう》じです」
しかし私があの廃屋の中で聞いたお話は、そんなような仲のよいお話ばかりではありませんでした。時にはお二人ともかなり強い声で言い争われた事が、二度や三度ではありませんでした。そうしてそのお蔭で前に書きましたような、この学校のいろいろな秘密がだんだんとわかって来たのですが、しかしその揚句《あげく》はいつも校長先生の方が折れて、仲直りをなさるのでした。
「よしよし。ようわかった。帳面の責任は結局、君一人の責任になる訳だからね。無理は言わんよ。……いや。わかったわかった。わかったよ……。それじゃこれから二人で仲直りに、面白い処へ行こうか。あの温泉ホテルの三階なら、誰にも見つからないぜ君……」
「イヤ。もう今日は遅いですからモット近い処にしましょうや」
「なあにタクシーで飛ばせば訳はないよ。近い処はお互いの顔を知っとるからいかん。温泉ホテルの三階がええ。君はあの妓《こ》を連れて来たまえ。自由に享楽の出来るステキな処だぜ。知事や県視学も内々でチョイチョイ来るよ。吾輩の新発見なんだ」
「ヘエッ。そんなに贅沢《ぜいたく》な処ですか」
「贅沢にも何にもスッカリ南洋式になっている、享楽の豪華版なんだ。勘定は受持つから是非彼女を引張って来たまえ」
「ヘヘヘ。恐れ入ります」
「イヤ。彼女は面白いよ。だいぶ変っているよ。僕も今夜はモット若いのを連れて行く」
と言うようなお話も、何かの因縁のように、不思議と私の耳の底に残っておりました。
そのようなお話を取集めて考えてみますと、校長先生は、御自分の名誉と地位を利用して、学校をお金儲けの道具に使ってお出でになるのでした。そうして、そんなようなお金を使って、どこか秘密の場所で、お友達を集めて遊んでお出でになるのでした。
けれども私はチットモ驚きませんでした。
私は涙もろい気の弱い女の癖に、そんな恐ろしい、浅ましいお話を聞くのが面白くて面白くて仕様がないのでした。そうして、とうとうたまらない好奇心に駆られました私は、そんなお話を聞いた後に二、三度、学校の帰りに温泉鉄道に乗って、温泉ホテルを見に行って来ました。どんな人が来て、どんな事をする処かスッカリ見定めて来ましたが、そんな事を見たり聞いたりするのが又、何よりの修養になるのでした。つまり、そんな風にどこどこまでも浅ましい世間の様子がわかって参りますうちに、私の心のうちに拡がっております虚無の流れがイヨイヨハッキリ鏡のように澄み渡って来るのでした。
私は世間に対してこの上もなくシッカリと強くなって来ました。どんなに笑われても軽蔑されても、私は平気で微笑し返すことが出来るようになりました。世間の人々が……この地球全体までが、大きな虚無のうちに生み付けられておる小さな虫の群れに見えて来ました。そうして、そんな虚無の中で、平気で悪い事をする虫ならば、こちらも平気でヒネリ潰して遣っても構わないような気持になって来ました。……女新聞記者になったら面白かろう……なぞと空想したのもその時分の事でした。
虚無なんて事を考える女は、女として価値《ねうち》のない女でしょうか。同窓の人達は皆私を「火星の女」とか「男女《おとこおんな》」とか綽名を付けておられたようです。何だか私の顔を見るたんびに、気味わるそうに溜息を吐いておられるようでした。御自分たちが、私のような女に生まれなかった事を、安心しておられたようにも思えましたが、違っておりましたでしょうか。
私の両親も私の顔を見るたんびに溜息ばかり吐いておりました。親としての興味を全くなくしたような絶望的な眼で私を見ておりましたが、そんな気持も私は察し過ぎるくらい、察しておりました。
忘れもしません。今年の三月十七日、私たちの卒業式のあった日の午後の事でした。私は式から帰って来て、制服を平常《ふだん》着に脱ぎかえております間に、茶の間で話しております両親の言葉を聞くともなく聞いて終《しま》いました。
「あれが片付かんと、妹二人を縁付ける訳に行かんからのう」
「そうですねえ。寧《いっそ》のこと病気にでもなって、死んででもくれればホットするのですが、あれ一人は一度も病気もしませんし……」
「ハハハ。生憎なもんじゃ。片輪なら片輪で又、ほかの分別もあるがのう」
こんな会話を聞きました時の私の気持……世間的には随分、気の強い女になったつもりでおりながらも、内心ではまだ、ありとあらゆる愛情というものに、焦げ付くほどの執着を持っておりました私が、人間としての最後の愛からまでも見離されておることを、ハッキリと知りました時の私のたまらなさ……そうした会話の中に満ち満ちているある冷たい憎しみが、親としての愛情の変形に過ぎない事は十分にわかっていながらも、自殺するよりほかに行く道のない立場に置かれている私自身を暗示された時の、私の悲しみ……いつまでも火星の女ではすまして行かれない、絶体絶命の私の立場……それでも気が弱くて、とても自殺なんか出来そうにない女のセツナイ悲しみが、男性の方にお解《わか》りになりましょうか。
私はこの涯てしもない空虚の中に身を置く処がなくなったのです。
私は只今のような両親の話を洩れ聞きました夕方、御飯を戴きますと間もなく、お友達と活動を見に行くと申しまして、お母様から買って頂いたまま、まだ一度も袖を通した事のない銘仙《めいせん》の、馬鹿馬鹿しいくらい派手な表現派模様の袷《あわせ》を着まして、妹たちに気付かれないようにソッと家を抜け出しました。学校の裏門の横の空地に在るポプラの樹の蔭から、コンクリートの塀を乗り越えて、校庭の便所の蔭に飛び降りました。それくらいのことは私に取って何でもなかったのです。
私は、それから久し振りに今一度、あの廃屋《あばらや》の二階の籐椅子の上にユックリと袖を重ねて、あの懐かしい、淋しい空を眺めながら、静かな静かな虚無の思い出に立ち帰りましょうと思って、新しいフェルト草履《ぞうり》を気にしいしい、人影のない、星ばかり大きい校庭の夕暗の中を、あの廃屋に近付いたのです。そうしてあの階下の土間の暗闇の中に、そっと片足を入れたのです。
その暗闇の中から突然に出て来た毛ムクジャラの男の両腕に、私はシッカリと抱締められて終《しま》ったのでした。そうして思いもかけない切ない愛の言葉を、生まれて初めて囁《ささや》かれたのでした。
「……よく来て下さいました。ありがとう御座います。ほんとによく来て下さいました。この独身者《ひとりもの》の憐れな年寄の悩みを救って下さるのは貴女《あなた》お一人です。貴女なしには私は生きて行けなくなったのです。どうぞこの独身者の淋しい教育家を憐れんで下さい……ね……ね。お互いにタッタ一人の淋しい気持は、わかり合っておるのですから……ね……ね……ね……」
そのお声が……そのお言葉が……たしかに校長先生のソレとわかりました時の、私の驚きはドンナでしたろう。
私の全身が、心臓の動悸と一緒に石になってしまったようでした。
……どうして私がここに来ることを御存じでしたろう……とその刹那《せつな》に思うことは思いましたが、考えてみますと職員室の一番左の窓から裏門が透かして見える事を思い出しましたから、多分何かの御用事で職員室へ来ておられた校長先生が私の姿をお見付けになって、先まわりをなすって弓術道場の板塀の蔭から来られたのではないか知らん……なぞと混乱した頭で考えた事でした。もともとお人好の私は、あんなような場合でも、出来るだけ校長先生のなさる事を善意に解釈しようしようと本能的に努力していたのでしょう、そんなような先生のお言葉にもさほどの不自然さを感じませんでしたばかりでなく、何よりも先に校長先生がこんな思いがけない非常識な事をなさるのはよくよくの事だろうと気が付きますと、私の持前の気弱さからどうしても逆《さか》らってはいけないような気持になりながら、暗黒の中で両腕を握られたまま、固くなって俛首《うなだ》れておりました。
ああ……意気地のない私……私はあの時にチョットでも声を立てたりすると、世間の名高い校長先生の御名誉と地位の一切合財をすっかりめちゃめちゃにして終《しま》うであろう恐ろしさに包まれて、身動き一つ出来なくなっていたのでした。
……ああ……可哀そうな私……「お互いに淋しい心はわかっている」と仰言った校長先生のお言葉に私は、われにもあらず打たれてしまったのでした。どう
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