何でもこの前に貴女にお手紙書いてから間もなくの事よ。いつもの通り新高さんと妾のバッテリでシボレーに乗って、博多から折尾へ行く途中十時半チョット前と思う頃、香椎の踏切にかかったの。ヒドイ吹き降りで一人もお客のない晩だったわ。二百二十日か二十一日の晩でしたからね。
 踏切にかかる少し前で、左側の松と百姓家の間から上り列車の長い長いアカリがグングン走って来るのが見えたんですけど、妾は平気で、
「……汽車アオーラアーイ」
 って長く引っぱって叫んだようよ。
 なぜソンナに恐ろしい嘘言《うそ》をついたのか、その時の気持がどうしてもわからないんですけど、真暗な雨風の中をすごいスピードで走る自動車の中で、すっかり憂鬱になっていた妾が、新高さんと一緒に死んだ方がいいような気持になっていたせいでしょう。
 その列車は熊本とか鹿児島とかから出た臨時列車で、満州に行く団体の人を一パイに乗せていたんですって。ちょうど博多発、上り十時一分の終列車が通り過ぎたばかりの処でしたから、十一時の下り列車ばかりを用心していた新高さんは、妾の言う事を本当にしたんでしょう。思い切りスピードを出して踏切を突切って国道沿いに右手へ急カーブを切ろうとしたの。そのテイルのデッキに列車のライフ・ガードが引っかかって、逆トンボ返りにハネ飛ばされて、タイヤを上にして堤《どて》の下へ落ちていたって言う話よ。
 新高さんは、厚い硝子の破片が脇腹の中へ刺さってモグリ込んだために、手当てが間に合わなかったんですって。列車の後部車掌の加古川さんて言う人が馳け付けて来て、背後《うしろ》から抱き起した時に、ウッスリ眼を開いて、息苦しい声で、
「シマッタ。ヤラレタ……ツヤ子の怨みだ……畜生……ツヤ子だ、ツヤ子だ、ツヤ子だ」
 って言った切りコトキレたって言う話よ。その後部車掌の加古川さんがワザワザ妾を見舞いに来て話して下すったの。
 そのお話を聞いた時に、妾は思わずニッコリ笑っちゃったわ。身体《からだ》中の血がスウーと暖かくなって、今にもかけ出せそうな元気で一パイになってしまったわ。新高さんはツヤ子さんの仇敵《かたき》を妾に取られた事をハッキリとわかって死んだんですからね。
 そう思うと妾は、涙がアトカラアトカラ流れて困っちゃったわ。何も知らない加古川さんと看護婦さんが、スッカリ同情しちゃってね。いろいろ慰めて下すったんですけど何もなりゃしないわ。妾は神様に感謝して喜んで泣いているのに、悲しんではいけない、身体に障《さわ》る障るって言うんですもの。妾その時にツクヅク思ったわ。女なんて滅多に慰めて遣るもんじゃないって。何を泣いているか知れたもんじゃないんですからね。
 その車掌さんと看護婦さんの話を聞くと、妾はメチャメチャになったボデーの下に伏せられて、顔をシッカリと両手で隠して、手足をマン丸く縮めていたので、みんな感心したって言う話よ。キット衝突する前から、そうしていたのでしょう。
 昨日臨床訊問て言うのがあったのよ。警察だの裁判所の人らしいイカツイ顔をした人が五、六人妾の寝台の廻りを取り巻いていろんな事を質問するの。ずいぶん怖かったわ。
 妾が大きな声でストップって言ったけど新高さんが構わずに踏切を突切ったって言ったら、皆うなずいていたわ。新高さんのイツモの運転ぶりを知っていたのでしょう。香椎の踏切には自動信号機が是非とも必要だなんて話合っていたわ。
 新高さんと内縁関係があるという話だが、ホントウかって鬚《ひげ》の生えた人が聞いたから、妾、ありますって言ってやったの。顔も何も赤くならなかったと思うわ。皆顔を見合わせて笑っていたようよ。そうしたら四十ぐらいの刑事巡査らしい、色の黒い骸骨みたいな男が、凹《くぼ》んだ眼を大きくギョロギョロさせながら、
「夫婦心中じゃないか」
 って言ったの。そうして白い歯をむき出して笑ったから妾ギョットしちゃったわ。でも妾、頑固に頭を振ったもんだから、間もなくみんな帰って行ったわよ。
 刑事なんて案外アタマのいいものね。その刑事の顔を思い出してもドキンとするわ。
 妾、神様に感謝しているのよ。ヤケクソの妾が一緒に死ぬつもりでオーライって言ったのに、新高だけ殺して、妾だけ助けて下すったんですもの。
 あたし頭の怪我がなおったらまた、ミナト・バスへ出て女車掌をつとめるわ。そうして今度こそ一生止めないわ。そうして女運転手になるわ。日本一の女運転手に……。妾これは神様の命令だと思っているの。
 結婚なんか一生しないわ。妾は最早《もう》、女の一生の分ぐらい何もかもわかっちゃったんですからね。新高さんが生き返って来ない限り、ほかの男の人には用はないつもりよ。
 新高さんの事がその時の新聞に大きく出ていたわ。「恐るべき色魔の殺人リレー」って言う標題でね。死んだ新高運転手は、東京の青バスを出てから後ズットお尋ね者になっていた女殺しの嫌疑者だった事が、死んだアトからわかったんですって。そうして新高は東京でも一度トラックと正面衝突をして、コチラの女の助手が即死したのに、自分だけ不思議に助かった事があるが、その時の説明のし方がよかったお蔭で無事に放免された経験の持ち主である。だから今度もホントウは内縁関係の女車掌と一緒に自動車を汽車に轢《ひ》かして、自分だけ飛び降りるつもりだったかも知れないって書いてあったわ。智恵子さんも多分、お読みになったでしょう。
 アレみんなウソよ。新聞社と警察の作り事よ。妾に同情し過ぎているのよ。会社でも大層、妾の身の上に同情しているそうよ。おかしいわね。
 でも妾、平気よ。世の中ってソンナもんよ。神様の裁判だけが正しいのよ。
 ですから、あたし智恵子さんだけにホントの事をお知らせするわ。
 これから後ドンナ事があっても女車掌なんかになっちゃ駄目よ。
 妾みたいな女になっちゃダメよ。

     第六の手紙

 智恵子さん。貴女に最後のお手紙を上げますわ。
 あたしこのお手紙を出した後で、何処かへ行って自殺しますの。死骸は誰にも見せないようにしたいのですから、どうぞ探さないで下さい。
 すみませんけど新高さんと妾の写真も、着物も、貯金の帳面も、印形も、世帯道具や何やかやも、みんな一|纏《まと》めにして、貴女のアテ名で送り出して置きました。
 どうぞ貧しい人達に分けて上げて下さい。
 小学校に寄付して下すってもいいわ。小さなオルガンぐらい買うだけあるでしょう。
 あの色の黒い骸骨みたいな刑事さんの言葉はやっぱりホントウだったのです。今やっとわかりました。
 妾は新高さんと夫婦心中をしてみたかったのです。そうして出来るなら自分だけ生き残ってみたかったのです。
 そうして、それがその通りになったのです。
 ですから妾はホントウを言うと夫殺しだったのです。けれども新高はツヤ子さんの怨みの一念に取り殺されたと思って死んだのでしょう。妾のシワザとは夢にも思わないままだったのでしょう。新高はやっぱり妾を心から愛していたのでしょう。
 そう気が付いた妾はモウいても立ってもいられません。
 そればかりじゃないのです。妾のお腹に新高の赤ちゃんが出来ていたのです。それがこの頃になって、新高さんの事を思い出すタンビに心臓の下の方でビクリビクリと躍り出すのです。この児が生まれたら妾どうしましょう。
 妾は、妾と一緒に呪咀《のろ》われたこの児も殺してしまいます。
 妾は夫殺しの吾児殺しです。
 貴女にだけ白状して死にますわ。許して下さい。ミジメなトミ子の一生涯のお願いです。
 女車掌なんかになってはいけません。――さよなら――



   火星の女

   県立高女の怪事[#「県立高女の怪事」は2段階大きな文字]
      ミス黒焦事件[#「ミス黒焦事件」は1段階大さな文字]
        噂は噂を生んで迷宮へ

     本日記事解禁[#「本日記事解禁」は罫囲み]

 去る三月二十六日午前二時ごろ、市内大通六丁目、県立高等女学校内、運動場の一隅に在る物置の廃屋《あばらや》より発火し、折柄の烈風に煽《あお》られ大事に致らむとする処を、市消防署長以下の敏速なる活躍により、同廃屋を全焼したるのみにて校舎には何等の損害なく消止め、一同|安堵《あんど》の胸を撫下《なでおろ》した事は既報の通りである。然るにそれから間もない二十六日の早暁に到り、その焼跡から、男女の区別さえ鑑別出来ない真黒焦の屍体が発掘されたため、又々大騒ぎとなった事実がある。しかも該屍体を大学に於て解剖に付した結果、二十歳前後の少女の屍体にして、特に腰部の燃焼十分なるような燃料を配置したる形跡あり。その結果、警察側にては色情関係の殺人放火事件と見込を付け、容易ならぬ事件と認め、右に関する記事の掲載を差止め、極度の緊張裡に厳重なる調査を開始したが、爾後《じご》一週間に到るも犯人は勿論、当該屍体の身元すら判明せず。噂《うわさ》は噂を生んで既に迷宮入りを伝えられ、必死の努力を続行中なる司法当局の威信さえも疑われむとする状態に立到っていたが、その後、当局にては何等か見る処があるらしく、今《こん》一日、突然に右記事を解禁するに到った。これは当局に於て、動かすベからざる重大な端緒を掴《つか》んだ証左と考えられ、従って右事件の真相が社会に公表されるのも遠い将来ではないと信じ得べき理由がある。

   他殺放火の疑い十分[#「他殺放火の疑い十分」は2段階大きな文字]
     但、例の放火魔では無いらし[#「但、例の放火魔では無いらし」は1段階大きな文字]

 右事件は依然として当局の調査続行中のため、今も尚、一切を秘密に付せられているが、事件発生直後本社の探聞し得たる処によれば、現場、県立高女の物置|廃屋《あばらや》は、平生何人も出入せず、且《かつ》、火気に遠隔《えんかく》した処なるを以て、放火の疑い十分ではあるが、校舎そのものの焼却を目的とする例の放火魔とは全然、手口が違っている。且、現場には硝子《ガラス》瓶ようのものの破片散乱せるも、同所が元来物置小舎なりしため、服毒用の瓶等とは速断し難い。また焼死体の血液採取が不可能な結果、抗毒素、一酸化炭素等の有無《うむ》も判明せず、従ってその処女なるや否や、又は過失の焼死なるや否やも決定し難い模様であるが、しかし現場の状況、及、屍体の外観等より察して他殺の疑いは依然として動かず。既報の通り色情関係の結果、演出された悲惨事《ひさんじ》ではないかと疑わるる節も多い。尚同校は去る三月十九日以来春季休暇中の事とて、寄宿舎には残留生徒一名もなく、泊込の小使老夫婦、及、当夜の宿直員にも一応の取調は行われたけれども怪しむべき点なく、さりとて変態性欲的な浮浪者が、高き混凝土《コンクリート》塀《べい》を繞《めぐ》らしたる同校構内に校外の少女を同伴し来るが如きは可能性の少ない一片の想像に過ぎず。且、その形跡もない事が認められている。尚、右記事の解禁後は捜索の方針が全然一変するらしいから、或《あるい》は意外の方向から意外の真相が暴露されるかも知れない。

   焼失した物置は[#「焼失した物置は」は1段階大きな文字]
     以前の作法教室
       校長は引責謹慎中

 因《ちなみ》に焼失したる県立高女の廃屋《あばらや》は純日本建、二階造の四|室《ま》で、市内唯一の藁葺《わらぶき》屋根として同校の運動場、弓術道場の背後、高き防火壁を繞《めぐ》らしたる一隅に在り。嘗《かつ》て同校設置の際、取毀《とりこわ》されたる民家のうち、校長|森栖《もりす》氏の意見により、同校生徒の作法|稽古場《けいこば》として取残されたものであるが、その後、同校の正門内に卒業生の寄付に係る作法実習用の茶室が竣工《しゅんこう》したため、自然不要に帰し、火災直前までは物置として保存されおり、階上階下には運動会用具その他、古|黒板《こくばん》、古|洋燈《ランプ》、空瓶、古バケツ、古籐椅子等が雑然として山積されていた。その階下に屍体を横たえて放火したものらしく、しかも火勢が非常に猛烈であったため、腹部以下の筋肉繊維は全然、黒き毛糸
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