い」と言うていなさったわ。
怖いわねえ。妾黄色いバラの花をドッサリ仏様に上げたわ。
デモこの話を聞いた時に妾もうツクヅク女車掌がイヤになってしまったのよ。雲雀《ひばり》の鳴く田圃《たんぼ》で、お父さんやお母さんのお手伝いをしていなさる智恵子さんが浦山《うらやま》しくなったわ。
わたしの言っている意味がおわかりになって?
女車掌というものがドンナに嫌らしい、淋しい、恐ろしい、ツマラナイ運命を持っているものかおわかりになって?
呉々《くれぐれ》も女車掌なんて止して頂戴。ね。
サヨナラ。お身体をお大切にね。
第二の手紙
智恵子さん。大変よ。
この前のお手紙に書いた新高運転手が来たのよ。妾たちのいるミナト・バス会社へ就職して来たの。そうして妾にプロポーズしたのよ。今度は私が殺される番よ。
でも心配しないで頂戴。妾シッカリしているんですから。ナカナカ殺されやしないから……。
新高運転手は東京の青バスが思わしくないから、勝手に暇を貰ってこっちへ来たって言うのよ。もうウソを言っているのよ。
でもツヤ子さんを殺した新高運転手に違いないのよ。ナポレオンみたいな男らしい冷めたい顔をして黙りこくってセッセと働いているの。古いチューブと針金でフェンダーを作るのがトテモ上手よ。そうかと思うと上等のバナナを妾たちに配ったり、チューブを切り抜いた魚だのお馬だのをお客さんの赤チャンに遣ったりしてトテモ気マグレなのよ。みんな新高さん新高さんってチヤホヤしているんですけど、妾ソレと気が付いた時にゾッとしちゃったわ。
それからツヤ子さんの仇敵《かたき》と思って、いつもジロジロ様子を見ていてやったわ。また、誰か殺しに来たに違いないと思って……。
そうしたらね、妾がソンナ眼で見ているのを新高さんは何かしら感ちがいしたらしいの。博多発十一時の折尾行きの最終発を待合室で待っているうちに、お客が一人もいないので、いいチャンスと思ったのでしょう。新高さんは黄色いバラの花を一本持って入って来て、妾の手に握らせたの。妾ギクンとしちゃったわ。だってバラの花は死んだツヤ子さんの一番好きな花だったんですもの。
妾が何かしら胸が一パイになりながら、ありがとうって言ったら、
「トミチャン。今夜、折尾の僕の下宿に来ないか」
ってダシヌケに言うじゃないの。つめたい真面目な顔をしてね。女を口説くような眼付きじゃなかったわ。英雄的な男らしい眼付きだったわ。
その眼付きを見たトタンに妾は決心しちゃったわ。喜び勇んで、
「ええ。行ってもいい」
って言っちゃったわ。でもずいぶん息苦しかったわ。
智恵子さん、ビックリしちゃ嫌よ。妾スッカリ新高さんが好きになっちゃったのよ。これこそホントに生命がけの恋よ。そうして、それと一緒にドウかしてツヤ子さんの仇敵を取って遣りたくなったのよ。新高さんを取っちめて、ヒイヒイあやまらせた揚句に、自殺させるかドウカしたら、どんなにか愉快だろうと思ってしまったのよ。
コンナ風に文句に書いてみると、妾の言う事はムジュンしているでしょう。けれどもその時の気もちは、チットモムジュンしていなかったのよ。あの時ぐらい妾の胸が大きな希望で一パイになった事はなかったのよ。行く末に何の希望もないカラッポの妾の胸が、大きな、生き生きした幸福で一パイになったように思ったわ。
妾は文字通りに喜び勇んで、新高さんの下宿に行ったの。そうして一から十まで新高さんの言うなりになって遣ったの。ちっとも恐ろしくなかったわ。新高さんもモウすっかり欺《だま》されて夢中になっていなすったわ。
ソウ……妾、無茶かも知れないわ。でも無茶でもいいわ。今に見ていらっしゃい。妾の冒険が成功するか、しないか。
そう思う時、妾の胸がドキドキするもので一パイになってしまうのよ。妾は今、妾の人生が破裂しそうなくらい張り切っているのよ。
誰が何と言ったって妾は、この冒険に向ってマイ進するわ。
[#地から2字上げ]サヨナラ
第三の手紙
智恵子さん。
女なんて弱いものね。
妾、新高さんにスッカリ征服されちゃったの。この前のお手紙に書いたような冒険心が、いつの間にか弱って来たらしいの。
新高さんも毎日毎日妾を可愛がるのが楽しみになって来たらしいの。世帯の事だの、まだ生まれもしない赤ん坊の事ばかり妾に話すの……妾はソンナ時に黙っているんですけど、これから先ドレぐらい続くかわからない長い長い新高さんとの同棲生活のコースが、希望も何もない灰色にズーッと続いているのが見えて来たの。昔の通りの平凡なトミ子の心に……それがただ人妻となっただけのトミ子の心に帰りそうになって来たの。妾が大切に大切に隠していたツヤ子さんの手紙を焼いてしまおうかと思った事が何度あるかわからないの。
新高さんを殺す気なんか爪の垢ほどもなくなっちゃったのよ。智恵子さんに笑われても仕方がないわ。
いったいこれはどうした事なんでしょう。妾の一生はこのまんまで平々ボンボンのままおしまいになるのでしょうか。新高さんと一緒になった最初の時のアノ張千切《はちき》れるようなモノスゴイ希望はいったい何処へ行ってしまったのでしょう。
妾はコンナつもりで結婚したはずじゃなかったのよ。妾はこのまんまパンクしたタイヤみたいになって、何処までも何処までも転がって行かなければならないのでしょうか。
店の先にブラ下がっている派手なメリンスのキレが眼に付いて眼に付いて仕様がなくなったのよ。赤ん坊の着物にはドンナのがいいかと思ってね。
どうぞどうぞ笑って頂戴。人生なんてコンナものかも知れないわ。
第四の手紙
大変な事が起ったのよ。智恵子さん。あたし、死《な》くなったツヤ子さんとおんなじお手紙を貴女に書くわ。
あたし近いうちに殺されそうなの。
新高さんが妾のバスケットの中からツヤ子さんの手紙を発見したらしいのよ。新高さんはソンナ事をオクビにも出さないんですけどね。何だか心の底にヨソヨソしい処が出来て来たようなの。そのクセ妾を可愛がる事は前よりもズット強くなったから変じゃないの。おれ達は幸福だ、幸福だってこの頃、急に言い出したからおかしいじゃないの。何かわけがあると思わずにはいられないのよ。まだ一緒になってから一週間も経たないのにさあ。
そればっかりじゃないの。きのうコンナ事があったの。夜の九時の折尾行きに乗って行く途中の事なのよ。
妾たちのミナト・バスでもバス代りに一九三二年型のシボレーのオープンを使っているの。そのシボレーの折尾行きが例の通り満員しちゃったので、妾がステップに立って、新高さんが運転して行くうちに、妾はフッと気が付いて、筥崎《はこざき》の踏切を出ると直ぐにダンマリで後部《リーヤ》のスペヤタイヤの横にまわって、荷物を乗せるデッキの上に立っていたの。
夜の九時頃よ。小雨が降って真暗だったわ。
そうしたら多々羅の村中の狭い処で、向うからバスが来たと思うと、急にスピードをかけた新高さんが、ハンドルをものすごくグーッと左に取って、道傍の電柱にスレスレに走り抜けて行ったの。万一妾がモトの通り前の左側のステップに立っていたらキット払い落されてぐたぐたにタタキ付けられたに違いないのよ。
妾ゾオッとしちゃったわ。ツヤ子さんの手紙を見られた事が、その時にハッキリとわかったのよ。わかり過ぎて髪の毛一本一本が逆立ちしたくらいだったわ。
そうしたら新高さんはまた、間もなく松崎の広い下り坂で、鉄砲玉のようなスピードになった時、向うから来た自転車を除けるふりをしいしいギューッと左に取って、車体の左側を、あぶなく松の樹にコスリ付けながら飛ばして行ったの。その時に妾はまたハッキリと新高さんが妾を殺そうとしている事を感じたのよ。
けれども、ちっとも手応えがない上に、妾がウンともスンとも言わないもんですから、新高さんは不思議に思ったらしいの。香椎《かしい》の踏切の前に来ると運転台から、
「オーイ。トミちゃん」
と呼ぶじゃないの。
「ハアイ」
て妾、後部から出来るだけ朗らかな声で返事して遣ったら直ぐに、
「……馬鹿ア……前へ来ないかア……汽車を見てくれい。十時一分の上りが来る頃だあ」
て言い言いスピードを落したの。妾はモウ一度朗らかに、
「ハアイ」
って返事しいしい前の踏切に馳け出して、
「汽車オーライ」
って両手を上げたの。あそこは家の蔭から急に鉄道踏切に乗り上げるばっかりじゃない。午後八時過は踏切番がいないので、慣れないトラックが二、三度引っかけられた事のあるトテモあぶない処なのよ。新高さんはチャント汽車の時間表を知っていて、御自慢のナルダンの腕時計[#「ナルダンの腕時計」はママ]を見い見い運転して来て、大丈夫と思ったら、妾が「オーライ」と車の中から言っただけで一気に突き抜ける処なのよ。それにこの時に限って御念入りにスピードを落して妾を呼ぶんですから妾、おかしくなっちゃったわ。
香椎でお客が三人降りたので、妾はビッショリ濡れたまままた、運転台に新高さんと並んで坐ったのよ。けども新高さんは別に何も言わなかったわ。ただ、
「寒かったろう」
とタッタ一言、低い声で言った切りステキなスピードを出して、香椎から一時間足らずのうちに折尾に着いたの。そうして二人してボデーを洗う間、一言も言わないまんまで家へ帰って、やはり黙りこくって二人でお酒を飲む間じゅう、睨み合いみたいになっていたの。新高さんは、いつも無口なんですけど、この時ばっかりは特別に、何ともカンとも言えない変な工合だったのよ。
そうしたら新高さんがイヨイヨ寝る段になったら、お酒がまわったせいもあるでしょう。ダシヌケにいろんな冗談を言い出したの。それは無口の新高さんに全く似合わない冗談だったの。下は乞食《こじき》から、一番上は将軍様までいろんな階級の人のラブシーンを、新派や歌舞伎のいろんな俳優の声色《こわいろ》を使ってやったりするの。それは上手で面白かってよ。新高さんにあんな芸当があるとは思わなかったわ。ですから妾も思わず釣込まれて、腹を抱《かか》えて笑ってしまったのよ。
けれども、それがまた、今朝になってみたら、何もかも空っぽになったような気がするの。人間の気持って妙なものね。こうして一日、仕事を休まして貰って、まだ降っている嵐模様の雨越しに、向家の屋根のペンペン草だの、ずっと向うに並んで揺れているポプラの並木だの、下り列車から吹き散って行く黒い烟だのを見ていると、それがみんな妾の運命みたいに思われて来て、考えても考えても考え切れない、淋しい淋しい気持になって来るの。
すぐ眼の下のトタンの屋根をバタバタとたたいて行く雨の音を聞いていると、ツイ眼の中に熱い涙が一パイ溜まって、死ぬほどつまらない、張合いのない気持になってしまうの。こんな情ない、悲しい妾の気持は智恵子さんに訴えるほかないわ。何とかしなければならないと思いながら、どうにもならないじゃないの。
妾、タッタ今、死んだツヤ子さんの形見の手紙を焼いたばかりのところなの。ツヤ子さんのアノ恐ろしい手紙を焼きたいばっかりに今日一日休まして貰ったようなもんよ。
何もかも運命よ。
運命にまかせるよりほかに仕方がないわ。神様なんてこの世にないんですから。
智恵子さん。ミジメなトミ子のために泣いてちょうだい。
第五の手紙
智恵子さんありがとうよ。
妾がコンスイしているうちに、お見舞に来て下すったんですってね。綺麗な花を沢山《たくさん》にありがとう。まだ妾の枕元に咲きほこっていますわ。感謝しますわ。
あたし、あれから一週間というもの何も知らなかったのよ。高い熱のためにウンウン言っていたんですって。頭のマン中の骨が割れて、それが悪くなりかけて出た熱なんですって。七針とか縫ったのをまたほどいて、洗い直したんですって。
どうして助かったんだか妾にもハッキリわからないのよ。でもこの頃になって、一人で起きたり坐ったり出来るようになったら、すこしずつ思い出して来たようよ。
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