行って、その中に自然と彼女自身の破局を構成して行ったのです。
しかるに小生等は、小生等自身の面目のために、真剣に、寄ってたかって彼女を、そうした破局のドン底に追いつめて行きました。そうしてギューギューと追い詰めたまま幻滅の世界へタタキ出してしまいました。
ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。
彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。
ただそれだけです。
この事を御報告申し上げて、御安心を願いたいためにこの手紙を書きました。
A・C《コカイン》のスプレーで睡魔を防ぎながらヤットここまで書いて参りましたが、もう夜が白《しら》けかかって脳味噌がトロトロになりましたから擱筆《かくひつ》します。
彼女が死んだ後までも小生等を抱き込んで行こうとした虚構《うそ》の流転も、それから貴下に対する小生の重大な責任もこの一文と共に完全に……何でもなく……アトカタもなく終焉を告げて行く事になります。
さようなら。
彼女のために祈って下さい。
殺人リレー
第一の手紙
山下智恵子様 みもとに
ミナト・バスにて 友成《ともなり》トミ子より
お手紙ありがとうよ。
女車掌になりたいって言う貴女《あなた》の気もち、よくわかりましたわ。
百姓の生活はつまらない。
青空や雲を見てタメ息なんかしてはいけない。東京の方へ行く赤、青、白の筋の付いた汽車を見送ってボンヤリなんかしていたら、なおさらいけない。汗でも涙でも、うつむいて土の中に落して行かなければ、百姓仲間の裏切者みたいに両親や兄弟から睨《にら》まれる。土から生まれて、土まみれのボロを着て、真黒い、醜い土くれのようなお婆さんになって、土の中に帰るだけ……。
ほんとうだわね。同情しますわ。
ですけども女車掌になんか成っちゃ駄目よ。ほかの仕事はあたし知りませんけど、女車掌だけはホントウにダメなのよ。お百姓なんかよりもモットモットつまらない、そうしてモットモット恐ろしい、イヤな仕事なのよ。
女車掌の運命なんてものは、往来に散らかっている紙キレよりもモットモット安っぽいものなのよ。女車掌になってみると、すぐにわかるわ。
早い話が、お百姓の娘でいると、お婿さんは純真な村の青年の中から御両親が選んで下さるでしょ。都合よく行くと好きな人とも一緒になれるでしょう。
ですけど女車掌になると、そんな幸福を最初からアキラメていなければならないのです。会社の重役さんとか、役員さんとか、自動車係りの巡査さんの言う事は、どんなにイヤな事でもおとなしく聞いて置かないと、直ぐに首になるのです。何とかカントかナンクセを付けて追い出されてしまうのです。私みたいに身よりタヨリのない孤児《みなしご》の女はなおさら、そうなのです。ですから賢い人はなるたけお白粉を塗らないようにして給料の上らないのは覚悟の前で、眼に立たないように、影にまわってばっかり働いているのです。その馬鹿馬鹿しい息苦しさったらないのですよ。
そうして、そればっかりじゃないのよ。
あたし御存じの通り親も兄弟もない孤児ですから、女給にでも交換手にでも何でもなれるんでしたけど、女運転手が勇カンでスタイルがいいと思って、そのお稽古のつもりで女車掌になったんですけど……望み通りに運転手になって、お金を儲けたって、それから先は何の目的もないんですからねえ。孝行をする親も、可愛がる弟もないんですからねえ。つまんないわ。毎日毎日、何の目的《めあて》も楽しみもないカラッポの世の中を、切れるような風に吹かれたり、ゴミダラケの太陽に焼かれたりして、生命《いのち》がけで駈けずりまわるようなもんよ。酔ったお客にヒヤカサレたり、コワイ巡査に手を握られたり、キザな運転手に突っつかれたりするたんびに、心の底の底まで淋しくて、悲しくて、つまらなくなる商売よ。ウント速力を出した時、何かに行き当ってメチャメチャになってくれるといいと、ソンナ事ばっかし考えさせられる商売よ。
ごめんなさいね。貴女のおためを思えばこそホントの事を言うんですから、怒らないで頂戴ね。そればっかしじゃないのよ。
モットモット恐ろしい事があるのよ。
この先に入れといた月川|艶子《つやこ》さんのお手紙を読んでちょうだい。文句をソックリその通りに写して置きましたから。
この手紙は妾の大事な手紙です。恐ろしい殺人事件の秘密のショウコになるかも知れない手紙ですから、このまんま貴女に上げるわけに行かないのです。そのわけもお読みになればわかるわ。
月川ツヤ子さんは妾の小学校の同級生なの。お父さんと一緒に浜松のベンキョウ・バス会社で、あたしと同じに女車掌をつとめている人よ。今年十九。身体《からだ》は小さいけど、とてもシャンなの。妾と違って気の弱い親切な人。あたしの昔からの親友。字もモット上手なんですけど。
月川ツヤ子さんの手紙[#「月川ツヤ子さんの手紙」の両側に傍線]
友成トミ子さん
ごぶさたしました。お変りありませんか。
トツゼン変な事を書いてすみませんけど、私このごろある人に殺されそうな気がするのです。
このごろ私のいる勉強乗合自動車会社に、新高《にいたか》って言う新しい運転手さんが来ましたの。それはナポレオンによく似た冷たい顔をした背の高い人です。運転がトテモ上手で、スタイルがよくて、骨身を惜しまず働くのでグングン昇給して行く人です。
その人が来てから三か月目に、私をお嫁にくれって、私のお父さんに申し込みました。二週間ばかり前の事です。
会社の工場に勤めている私のお父さんは、気が進まないけど、新高さんを可愛がっている会社の専務取締役の人が仲に立っているのでイヤとは言えないのだが、お前はドウかって尋ねられた時に、妾はすぐに承知してしまいました。新高さんなら前から嫌いじゃなかったんですからね。
ごめんなさいね。あなたに御相談しないで承知してしまったこと。
でも妾、最初ビックリしましたわ。どうして新高さんが、妾のような女を貰う気になったのだろうと思いましてね。
新高という人はシンカラ無口の人らしいのです。待合室に来ても、ほかの運転手のように女車掌に甘ったるい事を言ったり、妙な眼付きをした事なんか一度もないのです。並んで腰かけている私たちを見向きもしないで、スパリスパリ煙草ばかり吹かしているのです。
そうかと思うとダシヌケに、ヤンチャを言っているお客さんの子供を抱き上げて、頬擦りをしてキャッキャと笑わせたり、十銭で三つぐらいの一番|高価《たか》いお蜜柑を一円ばかりも買って来て、黙って私たちにバラ撒《ま》いたままプイッと外へ出て行ってしまったりしてトテモ気まぐれな人なのです。
そうかと思うとまた運転台で、バットを吸い吸いモノスゴイ速力を出しながら、ステキに朗らかな澄み切った声で、
エーエ。二度とオー惚れエーまいイ運転手のオ――畜生めエ――
敷き逃げエ――したア――ままア――知らぬウ――顔オ――
なんて歌って、満員のお客をゲラゲラ笑わしたりするのです。その癖、遊びに行った話はチットモ聞きません。いつもお金をポケットの中でジャラジャラ言わせているのですよ。ですから会社の重役さんがスッカリ信用してしまったらしいのです。
私も男らしい固い人と思い込んで、何もかも言うなりになってしまったんです。そうして正式に結婚式を挙げるばかりになっていたのです。
そうしたらね。きょう東京の青バスにいる妾の親友の松浦ミネ子さんからダシヌケにお手紙が来たのです。それがトテモびっくりする事だったのです。
「貴女の会社に新高竜夫って言う運転手が来たらダンゼン御用心なさい。
新高竜夫って言う人は東京中の運転手の中でも一番男ぶりのいい、一番恐ろしい評判の悪い人です。
新高って言う人は青バスにいるうちに幾人も幾人も女車掌を引っかけて内縁を結んで、その人に倦《あ》きると片端から殺して、何処かへ棄てて来るらしいんですって……。けれどもその遣り方が上手なので、まだ一度も疑われた事のない不思議な不思議な怖い怖い人なのです。こんな噂《うわさ》が立っているのは、あたし達、女車掌の仲間だけらしいのです。
それでもこの頃になって、警視庁の眼が、だんだん強く新高さんの近まわりに光り出したので、新高さんはコッソリ青バスをやめて、何処かへ行ってしまったのです。
どこか田舎のバスへ落ちて行ったろうって言う噂ですから、貴女の会社へ来るような事でもあったらゼッタイに御用心なさい。
よけいな事かも知れませんけど、心配ですから、ちょっとお知らせします」
と言ったような意味の事が鉛筆で走り書きにしてある。そんな手紙が来たのです。
妾ビックリしてしまいましたわ。
ですけども私、馬鹿正直なもんですから、この手紙をお父さんに見せないで、イキナリ新高さんに見せて遣ったのです。だって私モウ新高さんと関係が出来てしまったんですから、そうするのが当り前じゃないでしょうか。
新高さんは青い顔をしてその手紙を読んでしまいました。そうしてクシャクシャに丸めて、火鉢に投げ込んで焼いてしまいました。
「馬鹿だな……お前は……コンナ事を人にシャベッたら承知しないぞ」
と言って舌なめずりをしながら、ジロリと私を睨んだ新高さんの顔付きの恐ろしかったこと。顔の肉の下から骸骨がムキ出しに、ギョロッと出て来たかと思ったくらいスゴかったわよ。芝居でも活動でもアンナ怖いスゴい顔は見た事なかったわ。
私はその時にシンカラふるえ上がってしまって、ミネ子さんのお手紙に書いてある事がウソか本当か尋ねる事が出来なくなりました。そうして新高さんの顔を見て涙をポロポロ流していたら、新高さんはニッコリ笑って私の肩をタタキました。
「アハハ。お前を殺そうてんじゃないよ。コンナ噂の手紙なんかホントにする奴があるもんか。馬鹿だな。お前は……」
と優しく背中を撫でてくれたのです。その時に妾は何だか新高さんに殺されそうな感じがしてならなかったのですよ。でも新高さんなら殺されてもいいような気もちになったもんですから、そのまんま黙っているのです。
この事はお父さんにも誰にも言わないつもりですけど、トミ子さんにだけ書いときますわ。
ね。私の事を忘れないでね。
私と新高さんとで楽しい家庭を持っても笑わないでね。心から祝福してね。さよなら。
[#地から2字上げ]浜松勉強バスにて ツヤ子より
これがツヤ子さんから来た最後の手紙だったのよ。
ね。智恵子さん。この手紙を書いたツヤ子さんは、それから一週間も立たないうちに死んじゃったのよ。そうして博多でお葬式があったのよ。
ツヤ子さんの遺骨を持ってお帰りになったお父さんのお話を聞いたら、ツヤ子さんはバス代用の新フォードに新高さんと一緒に乗って行くうちに、お客が満員になったので左側のステップに立っていなすったんですって。そうしたら暗闇の中で向うから来たトラックがライトを消さなかったので、新高さんのハンドルが急に左に寄り過ぎて、ツヤ子さんの身体が電柱にブツカッたって言うのよ。左の肩と、腕と、アバラの骨がグザグザになっていたんですってさあ。
ドオオンて大きな音がしたって言う乗合《のりあい》のお客さんの話だったんですってさあ。ツヤ子さんのお父さんは「ツヤ子の運が悪いのです。あんな商売をさせたのが悪かったのです。トラックの番号は新高運転手が見といたそうですが、訴えても問題になりませんし、誰を怨むところもありません。タカの知れた女の子一匹です。広い世間の眼から見たら虫ケラ一匹のねうちも御座いますまい。それでもお客さんの生命に代ったのですから、私ももうトックに諦めております。会社からはその月の給料のほかに十円くれました。助かったお客様なんか見向きもしませんが、安いもんですなあ。よその人を敷いたのなら三百円ぐらい出しますが、葬式代にも足りません。もっとも、それぐらいに安く見積もらなきゃあ、若い人間をアンナに大勢、あぶない仕事には使われますま
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