|経《た》った今年の正月の末に、私は義弟のF学士の処に一晩泊りました。Fの家《うち》はFの母と姉と、私の妹であるFの妻と、Fの若い妹二人という家庭でしたが、老母と姉とを除いた全部がとても探偵小説好きで、「トリック」だの「ウイット」だの「アリバイ」だのと、中学卒業程度の私にはわかりかねる術語を使ってすごい話ばかりしているのです。その晩もそんな話をきかされながら紅茶に浮かされて夜を更《ふ》かしているうちに、フト俊寛の面のことを思い出しました。そうして何だか筋がまとまったように思いましたから、ほかで読んだことのようにして話してきかせますと、F学士は飛び上って、「そいは面白い。兄さんの創作に違いない。新青年の募集に応じたらどうです」と大騒ぎをしてすすめます。妹たちはもう一等当選にきめて奢《おご》る約束までするのです。
私は考えました。もう締切りまでに間《ま》はないし、職業は三通りもあるし、とてもと思いましたが、少々勢づけられていた上に、コソコソと物を書くことが好きなので筆を執ろうとしますと、第一に能面では説明に苦しむ処や筋が面白くなくなるところがある事に気が付きました。鼓でも似たものですが、
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