には一パイに涙が溜っていた。
「ハイ……しかし……それは……今度の事と……何の関係も無い事です」
「うむうむ。そうかそうか。それでラジオの音に紛れてマユミさんと一緒に寝よったんか。ハハハ」
 一知は頸低れたまま涙をポトポトと土間へ落した。微《かす》かにうなずいた。
「アハハハ。イヤ。そんな事はドウでも良《え》え。お前達が寝《ね》よる位置がわかれば良《え》えのじゃが……ところで、それにしても怪訝《おか》しいのう。二人とも犯人の通り筋に寝ておったのに、二人とも気付かなかったんか」
 一知が深いタメ息をしいしい顔を上げた。
「ハイ。私が気付きませんければ……彼女《あいつ》は死人と同然で……寝ると直ぐにグウグウ……」
 と云う中《うち》に又、赤い顔になって頸低れた。
「フム。毎晩、何時頃に寝るのかお前達は……」
「両親達はラジオを聴いてから一時間ばかりで寝附きますから、私たちが寝付くのはドウしても十二時過になっておりました。もっともこの頃は九時か十時ぐらいに寝ているようです。ラジオを止めましたから……」
「何故ラジオを止めたのかね」
「養母《おっか》さんが嫌いですから……」
 と云う中《うち》に一知は又も無念そうに唇を噛んだ。
「ふうむ。惨酷《ひど》いお養母《っか》さんじゃのう。起きるのは何時頃かね」
「大抵|今朝《けさ》ぐらいに起きます」
「夜業《よなべ》はせぬのか……藁《わら》細工なぞ……」
「致しません。時々小作米とか小遣の帳面を枕元の一|燭《しょく》の電燈で調べる位のことで、直ぐに寝てしまいます」
「老人《としより》というものはナカナカ寝付かれぬものというが、やっぱりソンナに早く寝てしまうのか……」
「さあ。私はよく存じませぬが……疲れて寝てしまいますので……」
 その時に井戸端で二人の問答を聞いていたマユミが、草川巡査の顔を振返った。何が可笑しいのか突然にゲラゲラと笑ったので、草川巡査は又もゾッとさせられた。

 草川巡査は妙な顔をしたまま靴を脱いで、台所の板の間に上った。以前の母家《おもや》から持って来たものであろう。家に不似合な大きな戸棚の並んでいる間から、中《なか》の間《ま》に通う三|尺間《じゃくま》を仕切っている重たい杉の開戸《ひらきど》を、軍隊手袋《ぐんて》を嵌《は》めた両手で念入りに検査した。それは真鍮製のかなり頑固な洋式の把手《とって》で、鍵穴の附い
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