ては毀《こわ》し作っては毀しするので、彼の勉強部屋になっている区長の家《うち》の納屋の二階は、誰にもわからない器械器具の類で一パイになっていた。村の人々は、
「聴かぬためのラジオなら、作らん方が好《え》え。学者馬鹿たあ、よう云うたる」
 と嘲笑し、両親も持て余して、好きにさせているという、一種の変り者で、いわばこの村の名物みたようになっているのが、この一知青年であった。
 だからその一知が、牛九郎老夫婦の眼に止まって婿養子に所望されると、両親の乙束区長夫婦は一議にも及ばず承知した。一知もラジオ弄《いじ》りさえ許してもらえれば……という条件附で承知したもので、その纏まり方の電光石火式スピードというものは、万事に手緩《てぬる》い村の人々をアッと云わせたものであったが、それから又間もなく一知は、この村の習慣《しきたり》になっている物々しい婿入りの儀式を恥しがったものか、それともその式の当夜の乱暴な水祝《みずいわい》を忌避《いや》がったものか、双方の両親が大騒ぎをして準備を整えている二月の末の或る夜の事、自分の着物や、書物や、色々な器械屑なんぞを、こっそりとリヤカーに積んで、深良屋敷へ運び込み、そのまま何と云われても出て行かないで頑張り通し、双方の両親たちを面喰わせ、村中を又もアッと云わせたものであった。
 そうしてそれから後《のち》、小高い深良屋敷を囲む木立の間から眩しい窓明りと共に、朗らかなラジオの金属音が、国道添いの村の方へ流れ落ち初めたのであった。
「イッチのラジオが、やっとスウィッチを入れたバイ」
 と青年達は甘酸っぱい顔をして笑った。
 しかし谷郷村の人々の驚きは、まだまだ、それ位の事では足りなかった。

 深良《ふから》屋敷の若い夫婦は、新婚|匆々《そうそう》から、猛烈な勢いで働き出したのであった。今まで肥柄杓《こえびしゃく》一つ持った事のない一知が、女のように首の附根まで手拭で包んだ、手甲脚絆《てっこうきゃはん》の甲斐甲斐しい姿で、下手糞ながら一生懸命に牛の尻を追い、鍬《くわ》を振廻して行く後から、薄白痴《うすばか》のマユミが一心不乱に土の上を這いまわって行くのを、村の人々は一つの大きな驚異として見ない訳に行かなかった。
 一知は間もなく両親に無断で、小作人と直接談判をして、麦を蒔《ま》いた畠を一町歩近くも引上げて、ドシドシ肥料を遣り始めた。村の人々はその無
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