振り返りたいのを、やっと我慢しながら考えた。
 ……ハテ妙な者に出合うたわい。匂い袋なんぞを持っているけに、たわいもない柔弱者かと思うと、油断のない体《たい》の構え、足の配り……ことに彼の胆玉《きもたま》と弁舌が、年頃と釣合わぬところが奇妙じゃ。……真逆《まさか》に街道の狐でもあるまいが……。
 などと考えて行くうちに大粒になった雨に気が付いて、笠の紐《ひも》をシッカリと締上げた。
 ……いや……これは不覚じゃったぞ。「武士《もののふ》は道に心を残すまじ。草葉の露に足を濡らさじ」か……。ヤレヤレ……早よう小田原に着いて一盞《いっさん》傾けよう。
 刀の手入を済ましてから宿の湯に這入《はい》ってサバサバとなった平馬は、浴衣《ゆかた》がけのまま二階に上ろうとすると、待ち構えていたらしい宿の女中が、横合いから出て来て小腰を屈《かが》めた。
「……おお……よい湯じゃったぞ……」
「おそれ入りまする。あの……まことに何で御座いますが、あちらのお部屋が片付きましたから、どうぞお越しを……」
「ハハア。身共は二階でよいのじゃが……別に苦情を申した覚えはないのじゃが……」
「……ハイ……あのう……主人
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