を見た。
「あの御客様……まことに申訳御座いませぬが只今、奥のお座敷が空きましたから、お上りになりましたらお手をどうぞ……御案内致しますから……」
小田原の出来事を思い出した平馬は返事が出来なかった。何やらわからぬ疑いと、たまらない好奇心が眼の前で渦巻き初めたので、無言のまま湯気の中から飛び出した。
「ヘイ……どうもお疲れ様で……お流し致しましょう」
揉み手をしながら小奇麗《こぎれい》な若衆が這入って来た。新しい手拭浴衣を端折《はお》っている。
「……ウーム……」
平馬は考え込んだまま背中を流さしたが、どうしても考えが纏まらなかった。肩癖《けんぺき》を打つ若衆の手許が、妙に下腹にこたえた。
女中に案内されて奥へ来てみると、小田原ほど立派ではないが木の香《か》がプンプンしている二尺の一間床に、小田原と同じ蝦夷菊《えぞぎく》が投入《なげいれ》にしてある。落款《らっかん》は判からぬが円相《えんそう》を描いた茶掛《ちゃがけ》が新しい。その前に並べた酒袋《しゅたい》の座布団と、吉野|春慶《しゅんけい》の平膳《ひらぜん》が旅籠《はたご》らしくなかった。頭の天辺《てっぺん》に桃割《ももわれ》
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