《かね》を探そうと目論《もくろ》んでいる吾輩の気持がわかったので冷笑しているのだ。その金がモウ無い事を知っているもんだから……。
 吾輩は腹の中で二度目の凱歌をあげた。
「ウン。僕が狙った事件で外れた事件《やつ》は今までに一つも無いよ。要するにこの頭一つが資本だがね。ハッハッハッ」
「ヘエ。珍らしい御商売ですね」
 親方が又コッソリ三尺ばかりの溜息を吐いた。吾輩のチャラッポコを信じて安心したらしい。吾輩も二尺五寸位の溜息をソッと洩らしながら椅子の中から起上った。
「お待遠さま……お洗いいたしましょう」
 サッパリと洗って、いい気持になった吾輩が又、椅子に腰をかけると、親方が新しいタオルで拭き上げて、上等のクリームを塗って、巧みにマッサージをしてくれた。
「……こんにちは……御免なさっせ……」
「入らっしゃい」
 新しい客が来た。ここいらの安見番《やすけんばん》の芸者らしい。但、着物の着附だけが芸者と思えるだけで、かんじんの中味はヨークシャ豚の頭に、十銭ぐらいのかしわ[#「かしわ」に傍点]の竹の皮包みを載っけた恰好だ。そいつが腐りつきそうな秋波を親方に送った序《ついで》に吾輩をジロリと睨みながら、吾輩がタッタ今立上った椅子の座布団の中へドシンと巨大《おおき》な大道臼《だいどううす》を落し込んだ。愛想《あいそ》もコソもあったもんじゃない。
「イヤ。お蔭でサッパリした。ところでどうだい。今の地面の話は……モウ少し歩み寄ってもいいんだが……。決して君を跣足《はだし》にしやしないが、先方はどこに居るんだい」
「ヘエ。これはモウ……何でも門司の親類の処に居るんだそうですが、時々八幡様を拝みかたがた様子を聞きに参りますんで。モウ今日あたり来る頃と思うんですが。二三日中に来るってえ手紙が、二三日前に参りましたんで……」
「ヘヘッ。お安くないね。うまく遣ってるじゃないか一木の後家さんと……」
「じょ……じょ……じょうだん……」
 と親方は何かしら顔色を変えながら芸者の方をチラリと見た。しかし吾輩は何も気付かなかった。背後を振向いた時には、大きなお尻を振り振り、表口を邪慳《じゃけん》に開けて出て行く、豚芸者の後姿が見えた。……何という変な芸者だ。そんなに待たせもしないのに……と思っただけであった。
 そのサッサと帰って行く後姿を見送りながら、苦々しい表情で瀬戸火鉢の前に腰を卸して、長羅宇《ながらう》で一服しかけた親方は、何気なく吾輩が差出したバットの箱を受取ってチョット押し頂きながら一本引出した。慣れた手附で、火鉢の縁へ縦にタタキ付けて、巻《まき》を柔らかくしながら吸い付けた。
「吸口はまだ這入っているぜ……君……」
「ヘエ。どうも済みません。……わっしゃドウモこの吸口の蝋《ろう》の臭いが嫌いなんで……ヘヘ……有難う存じます。只今お釣銭《つり》を……あ……どうも相済みません。お粗末様で……」
 吾輩は、五十銭玉を一個、若い親方の手に握らせて表へ出た。ブラリブラリと歩き出しながら町角を右へ曲ると、急に悪夢から醒めたように火見櫓《ひのみやぐら》の方向へ急いだ。

 翌る朝、玄洋日報の第三面に特号四段抜の大記事が出た。
「筥崎の迷宮事件……下駄屋|殺《ごろし》犯人捕わる……隣家《となり》の理髪店主……端緒は現場の吸殻から……」云々と……。
 記事は面倒臭いから略するが、犯人の理髪屋の若親方甘川吉之介(三十)と、昨日《きのう》の正午《ひる》過ぎに、偶然に訪ねて来た被害者、仏惣兵衛の後家さんチカ(五二)が、筥崎署へ引っぱられると同時にスッカリ泥を吐いてしまった。
 後家のお近婆さんは共犯ではなかったが、しかし犯行の動機は婆さんの不謹慎から生み出されたものに相違なかった。
 お近婆さんは評判の通りの堅造《かたぞう》であった。結婚匆々から病身のために亭主と離れ離れになっていたせいであったろう。五十を越しても生娘《きむすめ》のように肌を見せるのを嫌がったので、行く先々の鍼灸《はりきゅう》治療師が困らせられる事が多かった。同じ治療を受けに来ている患者達の間で浮いた話が始まると、すぐに席を外すくらい物堅い女であった。
 ところが俗に魔がさしたとでもいうのであろう。伊勢の天鈴堂《てんれいどう》という大流行の灸点師《きゅうてんし》の合宿所の共同風呂で、東京から神経痛を治療しに来ている理髪職人の甘川吉之介とタッタ一度、あやまって一所に入浴して以来、スッカリ吉之介に迷い込んでしまって、治療をソッチ退《の》けにして、名所名所を浮かれ廻わっている中《うち》に、亭主の惣兵衛が生前、長年の間、五十銭銀貨ばかりをコッソリとどこかへ溜め込んでいる事実を、何の気もなく喋舌《しゃべ》ってしまった。
 これを聞いた吉之介は、東京で色々な女を引っかけ飽きた揚句《あげく》、親方の女房と情死をし損ねて、新聞に色魔と書かれたので一縮《ひとちぢ》みになって逃げて来た男であった。所謂《いわゆる》、江戸ッ子の喰詰めで、旅先へ出ると木から落ちた猿同然の心理状態に陥っている矢先であった。溺れた者が藁《わら》でも掴む気で、お近婆さんの好意に甘えていたもので、今ではもうウンザリしかけているところへ、この話を聞かされたので、何の事はない五十銭銀貨の山を目当てにフラフラと九州へ来て、フラフラと八幡宮横の惣兵衛の家を探し当てて、フラフラと惣兵衛を呼起して下駄を誂《あつら》えたものであった。だから惣兵衛の横に腰をかけてバットを一服吸い付ける迄の吉之介には、殺意なんか無論、無かった。その五十銭銀貨の山を盗み取る気さえ無かったという。
 むろん警察ではソンナ申立ては絶対に信じなかった。無理遣りに計劃的な犯罪として調書を作り上げて検事局へ廻わしたもので、新聞記事もその調書の通りに書いておいたが、それでも後家のお近婆さんだけは大目玉を喰っただけで無罪放免をされた。つまりこの後家さんとこの事件に対する関係は、山羊髯編輯長と、警察の見込との双方ともが適中して、双方とも外れていた訳である。
 その以外の事実は全部名探偵……すなわち吾輩の推量通りであった。
 元来が荒事《あらごと》に慣れない、無類の臆病者の吉之介は兇行後、現場《げんじょう》の恐ろしさに慄《ふる》え上がって一旦は逃げ出して附近の安宿に泊った。しかし、それから又、五十銭銀貨の事を思い出したので、翌る晩の真夜中から、一生懸命の思いで、人目を忍んで、空屋に這入って懐中電燈の光りで探しまわった結果、やっと三晩目に台所の漬物桶の底から、真黒になった銀貨二千余円を発見するとスッカリ大胆になってしまった。その金を稀塩酸で磨いて、紙の棒に包んだのを資金として、故意《わざ》と直ぐの隣家《となり》に理髪店を開いていたところは立派な悪党であった。こうしていれば誰にも判明《わか》る気遣いは無いと、安心し切っていたものであった。だから後家さんが帰って来てから自分に疑いをかけて、何度も何度も詰問しに来たけれども都合よくあしらって、知らん顔をしていたという。その大胆不敵さには箱崎署も舌を捲いていた。
 発覚の端緒は現場に捨てて在った両切の煙草であった。斯様《かよう》な微細な点に着眼して、附近に住む両切煙草の使用者を片端《かたっぱし》から調べ上げた箱崎署の根気と苦心は実に惨憺たるものあり……云々という記事であったが、この最後の文句を書き添えた吾輩の文章の苦心が、如何に惨憺たるものがあるかを知っている者は我が山羊髯編輯長だけであろう。
 それはいいが、その記事の終尾《おしまい》の処に次のような記事がデカデカと一号|標題《みだし》で掲載されていたのには驚いた。

   密告者は芸妓《げいしゃ》だ[#見出し文字]
      女の一念は恐ろしい[#小見出し文字]
           =犯人の第二告白=[#前の行とは0.5行アキ、「犯人の第二告白」はゴシック体]

[#ここから1字下げ]
 箱崎署員の談によると、犯人は発覚の端緒を箱崎見番の芸妓《げいしゃ》某の密告と認めているらしい。犯人の告白に依ると該箱崎見番の芸妓某は犯人の男振りに夢中になり、毎日のように客足の絶えた頃を見計《みはか》らって犯人の処へ顔を剃りに来たもので、その都度、お前と下駄屋の後家さんとは兼ねてから懇意ではないかと念を押すので、犯人は知らぬ知らぬの一点張りで追払っていた。ところへ昨日、隣家の地面の事に就いて、後家さんとの交渉取次を犯人に希望する客人が来たので、後家さんが時々来る旨を迂濶《うっかり》、お客に話したのを、例の通り顔剃りに来た芸妓が耳にするや憤然として理髪店を出て行ったが、彼《か》の女《じょ》が、憤慨の余り後家さんとの関係を箱崎署へ密告したものに相違ない。女の一念ぐらい恐ろしいものはありませぬ。私は元来無類|飛切《とびきり》の臆病者の神経屋ですから、人殺しをしてからというものは、あらん限り気を付けて、万に一つも手落ちの無いように心掛けていたものですが……と犯人は繰返し繰返し戦慄している。
[#ここで字下げ終わり]

   後家を殺して[#見出し文字]
      高飛びの計劃[#小見出し文字]
        =犯人の第三告白=[#前の行とは0.5行アキ、「犯人の第三告白」はゴシック体]

[#ここから1字下げ]
 犯人は箱崎署の厳重な取調べに包み切れず、次のような恐ろしい犯行の予定計劃を白状した。
 恐れ入りました。私の人殺しの真実の動機を教えてくれたものはあの後家さんです。ですからあの後家さんが生きている間は、枕を高くして寝る事が出来ません。現に後家さんは私を疑って、時々そんな口ぶりを洩らしている位ですから、後家さんから頼まれている地面の売れ次第、その金を捲上げて、後家さんの口を閉《ふさ》いで、高飛びするつもりでした。
 どうせ死刑になるんなら何も彼《か》も申上げて死にます。御手数をかけて済みません。云々。
[#ここで字下げ終わり]
 吾輩は呆れた。驚いた。昨日《きのう》、後家さんの話をした時に急に変った理髪屋《とこや》の親方の悪魔|面《づら》を思い出して飛び上った。まるで名探偵の吾輩の行動を一から十までチャント見ていたような名記事だ……と思い思いその新聞を持って編輯室に押しかけて行った。
 安い弁当飯を頬張って山羊髯をモクモクと動かしているおやじ[#「おやじ」に傍点]の鼻の先へ新聞記事を差付けて指《ゆびさ》した。
「この記事は誰が書いたんですか」
「ムフムフ。わしが……書いたがナ……」
 と云い云い山羊髯にクッ付いた飯粒を抓《つま》んで口の中へ入れた。序《ついで》に総入歯の下の段を鼻の先へ抓み出して白茶気《しらちゃけ》た舌の先でペロペロと嘗《な》めまわした。
 不愉快なおやじ[#「おやじ」に傍点]だな……と思ったが、それどころではなかった。
「……冗談じゃない。コンナ馬鹿な事を犯人が喋舌《しゃべ》ったんですか」
「ムフムフ。第二の告白の方は昨日《きのう》の夕方箱崎の署長が当社へ礼云いに来た。お蔭で、永い間の不名誉を回復しましたチウテナ。法学士出のホヤホヤの署長じゃが、学生上りの無邪気な男でな。その序《ついで》に何も彼《か》も喋舌って行きよりましたよ」
「第三の告白の方も署長が喋舌ったんですか」
「イイヤ。それはわし[#「わし」に傍点]が署長に入れ智恵したことですわい。犯罪の定石ですからな。あの署長は無経験な正直者ですけにキットわし[#「わし」に傍点]が云うた通りに誘導訊問をしましょうて……」
「ヘエ……それじゃ、まだ実際に白状した訳じゃないんですね」
「……モウ今頃は白状しとりましょう。犯人もむろん後家さんと同棲する腹じゃないのじゃから、将来の考えが頭の中でチグハグになっとるに違いない。それじゃからどこかで返事をし損ねてキット誘導訊問に落ち込んで来ますてや。たとい犯人が否定し通しても箱崎署から文句を云うて来る気づかいはありません。君の手腕に恐れ入って感謝しとるのじゃから……実はこの朝刊の記事がすこし足りませんでしたからな。アンタのお株をチョット拝借したまでじゃ……ヒッヒッ……」
「驚いた。生馬《いきうま》
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