ば》見聞しているところである。――とか何とか気取らなくとも、新聞の所謂《いわゆる》三面記事に気を附けている人なら、直ぐに首肯出来る事実であろう。
 第三に、この兇行は元来、計劃的のものらしい臭味《におい》がして仕様がない。現場《げんじょう》を見なければ判然《わか》らないが、その秘密の現金を狙った奴が、わざと老爺《じじい》に上等の下駄を誂《あつら》えて、仕事にかかった油断を見澄《みす》まして一気に遣っ付けた仕事だ……という感じが新聞記事を読んだだけで直ぐにピインと来るのではないか。そうなれば犯人は、事に慣れた前科者か、又は、ズブの初心者が演出した偶然の傑作か、どちらかの二つに一つでなければならぬ。……が……しかしこれは前にも云う通り現場を見なければ、何とも断定出来ない。
 これだけの見当が付けばアトは犯人の手がかりだが、サテ一個月以上も経過している今日まで、現場に手がかりらしいものが残っているか……残っていても吾輩みたようなインチキ名探偵の眼に映るか、映らないか……そこが問題だ。
 お恥かしい話だが、吾輩、コンナに真剣になったものは四五年以前に東洋時報社で、初めて社会部外交記者に編入されて三面記事を取りに行った時以来、今度が初めてである。その途中から今日までは百中九十九パーセントまでヨタとインチキのカクテル記事で押通して来たものであるが……。そのお蔭で色々な失策《エラー》を連発して、方々で首種《くびだね》が尽きるくらい馘《くびき》られ続けながらノコノコサイサイ生き永らえて来たものであるが、今度という今度ばっかりはそうは行かない。ヨタやインチキが直ぐに暴露して、身に報《むく》いて来る世の中の恐ろしさを既に知り過ぎるくらい知っているばかりじゃない。人間、喰えるか喰えないか……最後の米櫃《こめびつ》を、取上げられるか、られないかのドタン場まで来ると、こうも真剣になるものかと、我ながら感涙に咽《むせ》ぶばかり……。
 なんかと浅ましい感傷《センチ》に陥りながら吾輩は、その記事を持って、眼立たないように編輯室に這入った。モトの我輩なら昨日《きのう》の山羊髯の手紙を見ただけでイキナリ編輯室に乗込んでノサバリ返っている筈だが、今度は正式に社長から入社の許可を受けるまで、客分のつもりで応接室に腰を据えて、恭倹《きょうけん》己《おのれ》を持《じ》するつもりだ。これも吾輩のセンチかも知れないが……。
 見ると山羊髯のおやじ[#「おやじ」に傍点]は仕事が閑散だと見えて、大阪の新聞の経済欄を読みながら、朝日を吸っては咳《せ》き入り、咳き入っては水ッ洟《ぱな》をすすり上げている。タヨリない事夥しい。
 その背後から近付いて、吾輩が赤鉛筆の筋を引いた下駄屋殺しの記事を指して見せたら、山羊髯は例によって小さな眼をショボショボさせた。蚊の啼くような声を出した。
「ホホホ。又何か仕事を見付けなさったか」
 ずいぶん人を喰った挨拶だとは思ったが、この場合、腹を立てる訳にも行かない。
「エエ。仕事を見付けなけあ逐《お》い出されそうですからね」
「ヒッヒッヒッ。ジッヘン。ゴロゴロゴロゴロ。ホホホ。何の記事かいな」
 吾輩が差出した新聞の綴込を抱えた山羊髯は、紙面を鼻の先に押付けて、初号活字の標題《みだし》を探り読んだ。コンナ盲目《めくら》同然のおやじ[#「おやじ」に傍点]を、御大層に飼っとく新聞社は、まったくのところ、日本全国に無いだろう。
「この記事は今でも迷宮ですか」
 山羊髯は記事を半分読みさしたまま、分厚い鉄縁の近眼鏡を外して、郡山の羽織の袖で拭いた。それからその眼鏡を片耳ずつ叮嚀に引っかけると、痩せ枯れた手でノロノロと山羊髯を撫でた。これだけの科《しぐさ》でも、生き馬の眼を抜く編輯長の資格は落第なんだが。
「ホッホッホ。新聞では迷宮じゃが……サアテナ……実際はモウ解決が付いておりはせんかナ……ホッホッヒッヒッ……」
「それじゃ貴方《あなた》には見当が付いてるんですか」
「付きませんな。現場《げんじょう》を見ておらんから」
「ヘエ。そんならドウ解決が付いてるんで……」
「目的無しの犯罪チウは在りませんてや」
「賛成ですね。僕も同意見です。ですから……」
「それじゃからその目的はモウ遂《と》げられとる頃と思う」
「その目的というのは金《かね》でしょうか、それとも……」
「加害者に聞いてみん事には解りませんな」
「被害者の後家《ごけ》さんはどこに居るか御存じですか」
「後家さんに当っても無駄じゃろう。根が馬鹿じゃけに何も知らんじゃろう」
「そうですかなあ。僕は後家さんが一番怪しいと思うんだがなあ。その後家さんと、どうかして心安くなった犯人が、共謀して……」
「ヒッヒッ。箱崎の警察もアンタと同意見じゃったがなあ。後家さんは何も知らいでもこの事件は立派に成立する可能性がある。寧《むし》ろ後家さんは全然無関係の者として研究した方が早くはないか。後家さんを疑うたらこの事件は迷宮に這入るかも知れんと、ワシが最初に云うておいたが、果してそうじゃった。それじゃから、よしんばアンタの男前で後家さんを口説《くど》き落しても何も掴めまいてや。無駄な事は止めなさい。昨夜のお玉さんなんぞと違うて、モウええ加減な婆さんじゃからのう。ヒッヒッヒ」
「ジョ冗談じゃない。モウそんな裏道へは廻りません。真正面から現場《げんじょう》を調べてみます。それから近所の住人の動静を探ってみます。とにかく僕が一つ迷宮の奥まで突抜けてみます」
「ホホ。中途で警察の世話にならんようにナ」
「承知しました」
 吾輩はそのまま、威勢よく玄洋日報社を飛出した。
 外に出てみると晩秋から初冬にかけて在り勝ちな上天気だ。
 福岡市外というから箱崎町はかなり遠い処かと思ったら何の事だ。町続きで十分ぐらいしか電車に乗らないうちに、筥崎《はこざき》神社前という処に着いた。鳥居前に立ってみると左手の二三町向うに火見櫓《ひのみやぐら》が見える。田舎の警察というものは大抵火見櫓の下に在るものだ。事件は警察の直ぐ近くで起ったんだなと気が付いた。
 思ったよりも立派な神社なので、思わず神前にシャッポを脱いで一銭を奮発した。今日の探険を成功せしめ給えと祈った。自分でも少々おかしいと思ったが、人間、行詰まると妙な気になるもんだ。俺みたようなインチキ野郎の御祈祷に、見通しの神様が引っかかってくれるか知らん……なぞと考え考え、お宮の北側の狭い横町に出て来た。境内一面の楠《くすのき》の下枝と向い合って、雀の声の喧《やかま》しい藁葺《わらぶき》屋根が軒を並べている。御維新以前からのまんまらしい、陰気なジメジメした横町だ。
 ……ここいらに違いない……と気が付いて見廻わすとツイ鼻の先に、軒先一面にペンペン草を生やした陰気な空屋があって、閉《た》て切った表の戸口に「売貸家《うりかしや》」と書いた新聞紙がベタベタと貼ってある。その左隣は近ごろ開店したらしい青ペンキの香《におい》のプンプンする理髪屋《とこや》で、右隣は貧弱な荒物屋兼駄菓子屋だ。どうもこの家《うち》らしいと思って、右側の駄菓子屋のお神《かみ》さんに聞いてみると果してそうだった。
「何か判然《わか》りまっせんばってん、事件から後《のち》、夜になると隣家《となり》の家《うち》の中をば、火の玉が転めき廻わるチウお話で……」
 と魘《おび》えたような眼付をした。その火の玉というのは、犯人が被害者の隠している金《かね》を探している懐中電燈の光りじゃなかろうか……といったような想像が、直ぐに頭へピーンと来た。だいぶ神経が過敏になっていたらしい。
「隣家《となり》の地面はまだ売れないんですね」
 と店先の燐寸《マッチ》でバットに火を点《つ》けて神経を鎮《しず》めながら聞くと、
「イイエ。貴方《あなた》。人殺しのあった家《うち》チウて、あんまり評判が悪う御座いますけに誰も買いに来《き》なざっせん。わたしの家も気味の悪う御座《ござん》すけに、どこかに移転《うつ》ろうて云いおりますばってんが、この頃、一軒隣に、新しい理髪屋《かみつみや》が出来まして、賑やかしうなりましたけに、どうしようかいと考え居《と》ります」
「ヘエ。あの理髪屋《とこや》はここいらの人ですか」
「いいえ。どこの人か、わかりまっせんばってん、親方さんが愛嬌者だすけに、流行《はや》りおりますたい。あなた……」
「僕は隣家《となり》の空屋を見たいんですがね」
「ヘエ……あなたが……」
「僕が……実は隣家《となり》を買いたいんですが」
 お神さんは妙な顔をして吾輩を見上げ見下《みおろ》した。ドンナに見上げても見下しても家屋敷を買おう……なんていう御仁体《ごじんてい》でない事を自覚していた吾輩は、内心ヒヤヒヤしながら拾い物のステッキを斜《ななめ》に構えて、バットの煙を輪に吹いて見せた。するとお神さんが、慌てて襟元を繕《つくろ》って、櫛巻髪《くしまきがみ》を撫で上げて敬意を払ったところを見ると、多分ソレ位の金持に見えたのであろう。
「ヘエ。それは貴方……それならこの家《うち》の裏からお這入りなさいまっせえ。表の戸口は鍵掛《かか》ってはおりまっせんばってん、裏口の方からは眼立ちまっせんけに……どうぞ……」
 お神さんは吾輩が、もしかすると隣家《となり》へ来る人かも知れないと思ったらしく早くも親切と敬意を見せ初めた。ここで本格式に行くとこのお神さんを捕まえて、根掘り葉掘り当時の状況を聞き訊すところであったが、気が急《せ》いていたのであろう、吾輩はそのまま駄菓子屋の裏庭を通り抜けて、問題の空屋の裏口から、コッソリと這入って行った。
 勿論被害者の後家さんが何とか処分したものと見えて、家《うち》の中の畳は一枚も敷いて無いし、建具も裏二階の階子段までも外《はず》してあった。台所には水棚も水甕《みずがめ》も無く、漬物桶を置いたらしい杉丸太の上をヒョロ長い蔓草《つるぐさ》が匍《は》いまわっていた。空屋特有の湿っぽい、黴臭《かびくさ》い臭いがプンと鼻を衝いた。
 犯行の現場《げんじょう》は直ぐに判明《わか》った。裏口から這入ると、田舎一流の一間幅ぐらいの土間が表の通りへ抜け通っている。その右側は土壁で、左側に部屋が並んでいる。その中でも表の八畳が下駄を並べた店らしく、ホコリだらけの棚が天井裏からブラ下がっている。その次の六畳の中《なか》の間《ま》が被害者……仏《ほとけ》惣兵衛の仕事場だったらしく、土間の上《あが》り框《がまち》の真上の鴨居《かもい》に引き付けた電燈の白い笠が半分割れたまま残っている。球は無くなっているが、土間の上の屋根裏の天窓から射し込む、青い青い空の光りで見ると、その上り框の前の土間に、血の上に灰を撒《ま》いたらしい一尺四方ばかりの痕跡が一個所残っている。その灰の痕跡は最初、堆《うずたか》かったものであろうが、血餅《ちのり》が分解して土間に吸い込まれるし、盛上った灰が又、湿気のためにピシャンコになっているので、その下に在った塵屑《ごみくず》の形を、浮彫《レリーフ》みたいに浮き出させている。マッチの棒、鼻緒の切端《きれはし》、藁切《わらきれ》など……その中に煙草の吸殻らしいものが一個、平べったく粘り付いているのが眼に付いた。多分、犯行当時は真黒な血餅の下に沈んでいたので、誰にも気付かれないまま灰を振りかけられたものであろう。
 その吸殻に懐中電燈を照しかけながら、念入りに検分してみると、それは半分以上吸い残した両切《りょうぎり》煙草が、血の湿気のために腹を切って展開《ひろが》った奴で、バットかエアシップぐらいの大きさの巻きらしい。ステッキの尖端でその周囲を引っ掻いてみたが、吸口《すいくち》らしいものはどこにも見当らなかった。ただ血と灰とが混合して発生したらしい※[#「※」は「草かんむり+斂」、第4水準2−87−15、257−10]《えぐ》い、甘い臭気がプーンとしただけであった。吾輩はホッと溜息をして顔を上げた。
 金口《きんぐち》でない両切煙草を、吸口無しで吸う奴は、相当のインテリだろう。新聞記事によると、殺された老爺《じじい》は傍に刻《
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