が参りましたが」
「誰をお迎えに……」
「此村さんをお迎えと申しまして……」
「どこから来たんだい」
「存じませんが……」
「お父《とっ》つあんはどこへ行ったんだい」
「今ちょっとお電話をかけに……」
「立派な俥かい」
「ハイ。お抱えらしい御紋付の……」
「占《し》めたっ」
と云うなり吾輩は、階子段を二股に飛び降りて靴を穿いた。表に出るなり俥夫《しゃふ》に云った。
「急いで僕を、お邸まで乗せてってくれ給え。此村さんが自殺してんだから」
面喰《めんくら》った俥屋が駈け出すと、吾輩は威勢よく仔熊の皮の中に反《そ》り返った。……ヘン。どんなもんだい。これだから新聞記者が止められないんだ……と云いたいくらいだ。おまけにどこへ連れて行かれるんだかテンキリわからないんだからイヨイヨ以て痛快だ。
石堂橋を渡って電車通を東中洲、西中洲を抜けて春吉《はるよし》へ曲り込んで、渡辺通りから郊外へ出たと思うと、驚ろく勿《なか》れ、九州の炭坑王と呼ばれた、安島子爵家の門内に走り込んだ。
流石《さすが》の吾輩も……コレハ……と驚いた。何かの間違いじゃないかと思ったが、まさかに俥《くるま》から飛降りて逃出
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