して、とりあえず取って付けたように魘《おび》えた顔をした。この辺には珍らしく眉を剃って鉄漿《おはぐろ》をつけているからトテモ珍妙だ。
「ヘエ。アナタ。向家《むかい》の煙草屋の二階だす。あの二階に下宿して御座った別嬪《べっぴん》さんなあ!」
「ウン。知ってるよ。二十二三の……」
「ヘエ。アナタ。あの人がカルモチンとかで自殺して御座るちうてアナタ……今朝……」
話の終らないうちに吾輩は猿股一つになって立上った。顔も何も洗わないまま洋服に手足を突込んでしまった。スウェターに首を突込んで、靴下を穿いて、帽子を引っ掴むと、梯子段の途中に引っかかっている女将の巨体を飛び越すようにして上《あが》り框《かまち》から半靴を突かけると表の往来……千代町《ちよまち》の電車通りに飛出した。
「まあ。早さなあ。消防のごたる」
と女将が感心している間《ま》に、モウ五六人、人だかりのしている向家の煙草屋に駈込んだ。
いつも煙草を買うので新聞記者という事を知っていたのであろう。野次馬に覗かれないように表の板戸を卸《おろ》しかけていた博奕打《ばくちうち》の藤六という宿屋の親仁《おやじ》がヒョコリと頭を下げて通し
前へ
次へ
全106ページ中85ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング