ねえ。あの隣家《となり》の屋敷を買いたいと思って、今日覗いて来たんだがね。持主は誰だい……今のところ」
「……ヘエ……あれはねえ……」
 若い親方の顔色が、見る見る柔らいで来た。肩の下と両頬に赤味がポーッと復活して来る中《うち》に鋏がチャキチャキと動き出した。
「あれはですねえ。今んところあの一木ってえお爺さんの後家さんのものになっているんですがねえ。実はあっし[#「あっし」に傍点]頼まれているんですけども……」
「フウン。心安いのかい後家さんと……」
 若い親方の顔が急に苦々しい、虫唾《むしず》の走りそうな恰好に歪《ゆが》んだ。同時にその眥《めじり》がスーッと切れ上って、云い知れぬ殺気を帯びた悪党|面《づら》に変った。
「いいえ。……その……別にソンナ訳じゃありませんけど、あの後家さんがツイこの間来ましてね。呉々《くれぐれ》もよろしく……買手があったら安く売りますからってね」
「フウン。君はそれじゃ、古くからここに居たんだね」
 親方は白い眼尻でジロリと吾輩の顔を見た。不愉快そうに答えた。
「いいえ。ツイこの頃ここに来たんですけどう」
「いつからだい……」
 ここまで尋ねて来るうちに
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