吾輩はヤット気が付いた。どうも最前からの話ぶりが陰気臭い。怪訝《おか》しい怪訝しいと思ったが、この男の過去には何か暗いところがあるらしい。おまけに被害者の後家さんと懇意らしいところをみると、これは何かしら大きな手がかりになるかも知れない。相場が当った……とか何とか云っているがヒョッとすると……そう思うと吾輩の胸が又も、別の意味でドキンドキンとした。
 しかし……それにしても迂濶《うっかり》した事は尋ねられない。何しろ相手は腕の冴えた職人に在り勝ちな一種特別の神経の持主だ。虫も殺さない優しい顔を一瞬間に老人の顔から、悪党|面《づら》へとクラリクラリ変化させる位カンの強い人間だから、万一、この男が事件に関係を持っているとすれば、既に今まで尋ねた事柄だけでも、尋ね過ぎる位、手厳しく突込んでいる筈だ。身に覚えのある人間なら、余程の自信が無い限り、トックの昔に感付いている筈だ。
 況《いわ》んやその当の相手は、現在ドキドキと磨《と》ぎ澄ました大型の西洋|剃刀《かみそり》を持って、吾輩の咽喉《のど》の処を、ゾリゾリやっている。もしもこの男が、所謂「純粋犯罪」を遣りかねない種類の脳髄の持主で、吾輩に
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