、何ともいえない芳香がホンノリと仄《ほの》めき出た。
馬鹿馬鹿しい話だが吾輩の胸がチットばかりドキドキした。……江戸ッ子に似合わないイヤ味な野郎だな……とアトからやっと気が付いた位だ。
「失礼ですが旦那、東京の方で……」
若い親方が吾輩の首の附根の処でチョキチョキと鋏《はさみ》を鳴らし初めた。
「ウン。これでも江戸ッ子のつもりだがね」
「東京はドチラ様で入らっしゃいますか」
少々言葉付きが変態である。江戸前の発音とアクセントには相違ないが、語呂《ごろ》が男とも女とも付かない中途半端だ。しかし愛嬌者と聞いたから一つ話相手になってやろうか……気分の転換は無駄話に限る……事によると隣家《となり》の迷宮事件のヒントになる事を聞き出すかも知れない……と気が付いたから出来るだけ気軽く喋舌《しゃべ》り初めた。
「東京だってどこで生れたか知らねえんだ。方々に居たもんだから……親代々の山ッ子だからね」
「恐れ入ります」
「君も東京かい」
「ヘエ……」
と云ったが言葉尻が聊《いささ》か濁った。
「いい腕じゃないか。鋏が冴えてるぜ。下町で仕込んだのかい」
「ヘエ……」
と又言葉尻が薄暗くなる。愛嬌
前へ
次へ
全106ページ中58ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング