考えられ得る。両切を吸口無しで吸ったり、上等の下駄を穿いたりするインテリならば……殊に虚無主義的《ニヒリステック》な近代の、文化思想にカブレた意志の弱い人間ならば尚更、文句なしに、そうしたヒステリー式な犯罪をやりかねないであろう可能性がある。
 吾輩はズット以前、借金|取《とり》のがれの隙潰《ひまつぶ》しに警視庁の図書室に潜り込んで、刑事関係の研究材誌を読んだ事がある。その時に何とかいう仏蘭西《フランス》の犯罪学博士の論文の翻訳の中に出ていた「純粋犯罪」という名称を思い出した。犯罪に純粋もヘチマも在ったものではないが、つまり何の目的も無しに、殺してみたくなったから殺した、盗んでみたくなったから万引したという、ホントウの慾得を忘れた犯罪心理……生一本《きいっぽん》の出来心から起った犯罪を純粋犯罪というのだそうで、この種の犯罪は世の中が開けて来るに連れて殖《ふ》えて来るものである。如何なる名探偵と雖《いえど》も、絶対に歯を立て得ない迷宮事件の核心を作るものは、外ならぬこの「純粋犯罪心理」……とか何とか仰々《ぎょうぎょう》しく吹き立ててあった。……まさかソレ程の素晴らしい、尖端的なハイカラ犯
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