あるまいに……と思いながら……。
するとそのうちに小使がヤットコサと腰を上げた。煙管を腹がけの丼《どんぶり》に落し込みながら、悠々と俺の前に立塞がって、真黒な右手をニューと差し出した。俺は面喰って後退《あとずさ》りした。
「何ですか……」
「名刺をば……出しなさい」
吾輩は街頭強盗《ホールドアップ》に出会った恰好で、恐る恐る名刺を渡した。「中央毎夕新聞編輯部|羽束《はつか》友一」と印刷した最後の一枚を……。
小使は、この名刺をギューと握り込んだまま、吾輩の直ぐ横に在る真暗い、泥だらけの階段を上って行った。その一足|毎《ごと》に、そこいら中がギシリギシリと鳴って、頭の上の天井の隙間からポロポロとホコリが落ちて来たのにはイヨイヨ驚いた。
たまらない不安な気持で待っているうちに、階段の上から大きな声がした。
「コチラへ上って来なさっせえ」
どこの階段でも一気に駈け上るのが癖になっている吾輩もこの時ばかりは気が引けた。匐《は》い上るような恰好で、杖を突張り突張り段々を踏んだ。スッカリ毒気を抜かれていたばかりじゃない。古い板階段の一つ一つが、磨り残ってビィヨンビィヨンしている上に、下向
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