に吾輩の心理状態がクルリと転向した。
 西洋の名探偵心理から、一足飛びに、純粋の江戸ッ子心理に寝返りを打った訳だ。もっとも好き好んで変化した訳じゃない。そうしなければ太刀打《たちうち》出来ない窮境に陥りかけている事を本能的に自覚したせいであったろう。トタンにお玉が差し伸べた手をシッカリと握ったものだ。お玉は吾輩の耳元に唇を寄せて囁いた。
「羽束さん。あんた非道《ひど》い人ね、あたしをどこまで苛《いじ》めるつもり……」
 可哀相にお玉の眼には涙が浮かんだ。あとの文句は聞かずともわかっている。東海道で稼げなくなって、上海《シャンハイ》、長崎の門管ラインに乗換えたところを又、古|疵《きず》同然の吾輩に附き纏われてはトテモ叶《かな》わないというのだろう。吾輩は然《そぞ》ろにお玉の窮況に同情してしまった。
「ね。後生《ごしょう》だから今日だけ、お狃染甲斐《なじみがい》に妾《わたし》を助けて頂戴。ね。妾、武雄《たけお》の温泉で長崎から宝石入りの麻雀《マージャン》を抱えて来た男の荷物を置き換えて来たんだから。その男が税関の役人に押えられる間際によ。そうしたら、武雄の刑事が喰い付いて来たから、妾ここで
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