套と、雪駄《せった》と、鳥打帽を風呂敷に包み込んで、テニス靴を穿いて、白い粉をポカポカッとハタいて、棒紅をチョコチョコと嘗《な》めただけの芸当には違いないが、それにしてもアンマリ早過ぎる。況《いわ》んやそれを玄関番が見た時は店員で、エレベーターボーイが見た時は令嬢だったというんだから大胆といおうか不敵といおうか、唯々舌を捲かざるを得ない。おまけにその容易ならぬ曲者《くせもの》は、吾輩の顔を見ると、溶《と》ろけるような心安さでイキナリニッコリと笑いかけたものだ。
「お久しう御座います。羽束さん」
 吾輩は二三歩ヨロヨロと後《うしろ》に退《さが》った。
 ……何がお久し振りだ。……何が羽束さんだ……。
 と唾液《つば》を嚥《の》み込み嚥み込み相手の顔を白眼《にら》み付けたが、その瞬間に……ヤアーッ……と叫んで天井に飛び上りたくなった。
 ……お久しい筈だ。この女こそ箱師のお玉といって名打ての女|白浪《しらなみ》だ。東京で警視庁に上げられる度《たび》に、吾輩から感想を話させられた女だ。この女の身の上話を雑誌にヨタッたお蔭で吾輩は多量の原稿を稼いでいる。いわば吾輩の大恩人だ……と気が付くトタン
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