ダイ。お爺《とっ》さん。胡麻化《ごまか》しちゃイケないぜ。大抵わかってんだろ」
 と一本|啖《く》らわしてやったら親仁が禿頭《はげあたま》を掻いた。
「エヘヘ。済みません。実は新聞に書かれちゃ困りますけに……レコだすけにな」
 と小指を出して見せた。
「ヘエ。旦那は誰ですか」
 親仁は又頭を掻いた。両手を膝に置いて頭を一つ下げた。
「そ……そいつは御勘弁下さい。……わたくしが、お世話しましたとですけに……」
「アハハ」と今度は吾輩が頭を掻いたが、親仁《おやじ》がちょっと両手を合わせて拝む真似をしたのを見ると可哀相になった。
「失敬失敬。それじゃ本人が死んだらスッカリ事情を話して下さいよ。決してこちらさんに御迷惑になるような事は書きませんから……」
 親仁は苦笑して首肯《うなず》いた。その首肯き方で女の旦那というのはヨッポド大物らしいと思った。
 二階へ上ってみると六畳ばかりの床の間附の部屋の中央《まんなか》に、花模様のメリンスの布団を敷いて、半裸体の女が大の字に寝かしてある。
 その枕元に近所の医者……下宿の女将《おかみ》の報告に係る淋病のドクトルがタッタ一人坐って胃洗滌をやっている。
 金盥《かなだらい》の中を覗くとドロドロの飯粒と、糸蒟蒻《いとこんにゃく》が漂っている中に白い錠剤みたようなもののフヤケたのがフワフワと浮いている。
 患者は、
「ガワガワ……グルグル……ゴロゴロゴロ……」
 と二重|腮《あご》をシャクリながら嘔《は》いているが、そのまま手足を長々と投出しながらスヤスヤと睡《ねむ》っている。
 変テコな状態だが、まだ相当麻酔しているのであろう。
 流行の庇髪《ひさしがみ》に真物《ほんもの》の真珠入の鼈甲櫛《べっこうぐし》、一重|瞼《まぶた》の下膨《しもぶく》れ。年の頃は二十二三であろうか。
 顔から肩から胸元……背中はわからないが手首、足首まで真白に化粧して頬紅、口紅をさしているが、その色っぽい事。正に熟《う》れ切った、女盛りの肉体美だ。
 吾輩が上って行くと、ドクトル淋病氏が、ハッとしたらしい。
 吾輩が女のオデコの上に名刺を置いて見せたらドク・リン氏が叮嚀に頭を下げて説明してくれた。
 好人物らしい微笑を浮かべて、
「私はタッタ今来たんです。広矢《ひろや》と申します。今朝早く、夜中に、かなり多量のカルモチンを嚥下《えんか》したらしいですが、胃洗滌
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