感付かれたと感付くと同時に、今が絶好のチャンスだ……気が付いたら最後、吾輩のグリグリの処あたりをブッツリと遣らないとは限らないだろう。そうなったら羽束友一、生年二十四歳……アアもスウもない運の尽きだろう。中途で警察の世話にならないように……と山羊髯が云ったのは、もしかするとここの事かも知れないぞ……人通りの無い淋しい横町だし、店には誰も居ないのだから……。そう気が付くと同時に吾輩は今一度、念入りにゾッとさせられた。名探偵|生命《いのち》がけの冒険とはこの事だと気が付いた。左右のお臀《しり》の下が一面にザラザラと粟立ったような気がした。
 ……しかし……と思い直しながら、吾輩は咳払いを一つした。若い親方がビックリして剃刀を引っこめた。
 男は度胸だ。かよわい女だって荒波に潜って真珠を稼ぐ世の中だ。オマンマに有付《ありつ》くか、付かないかの境い目だ。行くところまで行ってみろ。こっちで気を付けて用心をしていたら、万一の場合でも怪我《けが》ぐらいで済むだろう。況《いわ》んや相手は蔭間《かげま》みたいなヘナヘナ男じゃないか。柔道こそ知らないが、スワとなったら、銀座界隈でチットばかり嫌がられて来たチョボ一だ。どうなるものか……と少々時代附きの覚悟を咄嗟《とっさ》の間にきめた。同時に、上等の廻転椅子に長くなって、シャボンの泡を頬ペタにくっ付けながら決死の覚悟をしている自分自身が可笑《おか》しくなったので、又一つ咳払いをした。不意を打たれた親方が又ビックリして手を離した。
「いつからここに引越して来たんだい」
「ヘエ。アト月《つき》の末からなんで……」
 親方の返事は何気もなさそうだったが吾輩は取りあえず腹の中で凱歌をあげた。アト月の末といったら、ちょうど事件のホトボリが醒めかかった時分である。それだのに被害者の後家さんと識《し》り合いというのは、いよいよ怪しい。
「繁昌してるってね」
 とウッカリ口を辷《すべ》らしてハッとした。近所の噂を探って来た事を疑われやしないかと思って……。しかし親方の返事は依然として何気もなかった。
「ヘエ……お蔭様で……」
「隣の家には火の玉が出るってえじゃないか」
「ヘエ……そ……そ……そんな噂で……」
「君。這入ってみたかい。隣の家に……」
「……いいえ。と……飛んでもない……」
「今時そんな馬鹿な話があるもんじゃない。ねえ親方……」
「まったくな
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