炭《ボタ》が今にも落て来はせんか……。
 といったようなイヤな予感に次から次に襲われ始めると同時に、それが疑いもない事実のように思われ出して、吾知らず安全燈《ラムプ》の薄明りの中に立ち竦《すく》んでしまったのであった。
 すると、そうした不吉な予感の渦巻の中心に何よりも先に浮かんだのは、女房のお作《さく》の白い顔であった。
 お作というのは福太郎よりも四ツ五ツ年上であったが、まだ何も知らなかった好人物《おひとよし》の福太郎に、初めてにんげんの道[#「にんげんの道」に傍点]を教えたお蔭で、今では福太郎から天にも地にも懸け換えのないタッタ一人の女神様のように思われている女であった……だからその母親か姉さんのようになつかしい……又はスバラシイ妖精《ばけもの》ではないかと思われるくらい婀娜《あだ》っぽいお作の白々と襟化粧《えりげしょう》をした丸顔が、モウ二度と会われない幽霊か何ぞのようにニコニコと笑いながら、ツイ鼻の先の暗黒《くらやみ》の中に浮かみ現われた時に、福太郎は思わずヨロヨロと前にノメリ出しそうになった。そうして初めてお作に会った時からの色々な曰《いわ》く因縁の数々を思い出しながら、今
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