の球一つ動かす事が出来なかった。自分が死んでいるのか生きているのかすら判断出来ないような超自然的な恐怖に閉じこめられつつ、全身が氷のようにギリギリと引締まって来るのを感じているばかりであった。
 その福太郎の凝固した瞳を、源次はジイッと見入りながら、暫くの間、福太郎と同様に眉一つ動かさずにいた。それからその汗と泥にまみれた赤黒い顔じゅうに、老人のような皺《しわ》をジワジワと浮上らせて、泣くような笑うような表情を続けていたが、やがて歪んだ、薄い唇の間から、黄色い歯を一パイに剥《む》き出すと、たまらなく気持よさそうなニヤニヤした笑いを顔一面に引拡げて行った。そうしてサモ憎々しそうに……同時に如何にも愉快そうに顎を突出しながら、何か云い出したのであった。
 その言葉は全く声の無い言葉であったばかりでなく、非常にユックリした速度で唇が波打ったために、全然、意味を成さない顔面の動きとしか見えなかった。それでも、福太郎にはその言葉の意味が不思議にハッキリと読めたのであった。
「……わかったか……おれは……源次ぞ……わかったか……アハ……アハ……アハ……」
 福太郎はその時にちょっと首肯《うなず》きたいような気持になった。しかし依然として全身が硬直しているために、瞬《またたき》一つ出来なかった。
「……アハ……アハ……わかったか……貴様は……俺に恥掻かせた……ろうが……俺がどげな……人間か知らずに……アハ……」
「……………」
「……それじゃけに……それじゃけに……」
 と云いさして源次は、眼を真白く剥出《むきだ》したまま、ユックリと唇を噛んで、獣《けもの》のようにみっともなく流れ出る涎《よだれ》をゴックリと飲み込んだ。それを見ると福太郎も真似をするかのように唾液《つば》を飲み込みかけたが、下顎が石のように固《こわ》ばっていて、舌の尖端《さき》を動かすことすら出来なかった。
「……それじゃけに……それじゃけに……」
 と源次は又も喘《あえ》ぐように唇を動かした。
「……それじゃけに……引導をば……渡《わた》いてくれたとぞ……貴様を……殺《ころ》いたとは……このオレサマぞ……アハ……アハ……」
「……………」
「……お作は……モウ……俺の物ぞ……あの世から見とれ……俺がお作を……ドウするか……」
「……………」
「……ああハアハア……ザマを……見い……」
 そう云ううちに源次は今一
前へ 次へ
全23ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング