斜坑
夢野久作

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)斜坑《しゃこう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|番方《ばんかた》から

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「┐」を全角大とした、屋号を示す記号、312−16]
−−

       上

 地の底の遠い遠い所から透きとおるような陰気な声が震え起って、斜坑《しゃこう》の上り口まで這上《はいあが》って来た。
「……ほとけ……さまあああ……イイ……ヨオオオイイ……旧坑口ぞおおお……イイイ……ヨオオオ……イイ……イイ……」
 その声が耳に止まった福太郎はフト足を佇《と》めて、背後《うしろ》の闇黒《やみ》を振り返った。
 それはズット以前から、この炭坑地方に残っている奇妙な風習であった。
 坑内で死んだ者があると、その死骸は決してその場で僧侶や遺族の手に渡さない。そこに駈け付けた仲間の者の数人が担架やトロッコに舁《か》き載せて、忙《せ》わしなく行ったり来たりする炭車の間を縫いながらユックリユックリした足取りで坑口まで運び出して来るのであるが、その途中で、曲り角や要所要所の前を通過すると、そのたんびに側に付いている連中の中の一人が、出来るだけ高い声で、ハッキリとその場所の名前を呼んで、死人に云い聞かせてゆく。そうして長い時間をかけて坑口まで運び出すと、医局に持ち込んで検屍を受けてから、初めて僧侶や、身よりの者の手に引渡すのであった。
 炭坑《マブ》の中で死んだ者はそこに魂を残すものである。いつまでもそこに仕事をしかけたまま倒れているつもりで、自分の身体《からだ》が外に運び出された事を知らないでいる。だから他の者がその仕事場《キリハ》に作業《しごと》をしに行くと、その魂が腹を立てて邪魔《ワザ》をする事がある。通り風や、青い火や、幽霊になって現われて、鶴嘴《つるはし》の尖端《さき》を掴んだり、安全燈《ラムプ》を消したり、爆発《ハッパ》を不発《ボヤ》にしたりする。モット非道《ひど》い時には硬炭《ボタ》を落して殺すことさえあるので、そんな事の無いように運び出されて行く道筋を、死骸によっく云い聞かせて、後《あと》に思いを残させないようにする……というのがこうした習慣の起原《お
次へ
全23ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング