た。だからこの炭坑《やま》に這入《はい》るのは、それこそホントウの生命《いのち》がけでなければならなかったのであるが、併《しか》しそうした事実を知っているのは極く少数の幹部以外には、その相談を偸《ぬす》み聞いた仕繰夫《しくり》の源次だけであった。ところがそうした秘密がいつの間にか源次の口からコッソリとお作の耳に洩れ込んでいたのを、福太郎が又コッソリとお作から寝物語に聞かされていたので、
「インマの中《うち》に他の炭坑へ住み換えようか。それとも町へ出てウドン屋でも始めようじゃないか」
とその時にお作が云ったのに対して、シンカラ首肯《うなず》いて見《みせ》た事を、福太郎は今一度ハッキリと思い出させられた。そうして今日限り二度とコンナ危険な処へは這入れない……といったような突詰めた気持に囚われながらオズオズと前後左右を見まわしたのであった。
「書写部屋《ささべや》(事務所)ぞオオ……イイイヨオオ……イイヨ……オオイイイ……」
という呼び声がツイ鼻の先の声のように……と……又も遠い遠い冥途《あのよ》からの声のように、福太郎の耳朶《みみたぼ》に這い寄って来た。
その声に追い立てられるように福太郎は腰を屈めながら、斜坑の底の三十度近くの急斜面を十四五間ほどスタスタと登って行った。そうして斜坑が少しばかり右に曲線を描いて、真西に向っている処まで来てチョット腰を伸ばしかけた。
……その時であった。
福太郎はツイ鼻の先の漆《うるし》のような空間に真紅の火花がタラタラと流れるのを見た。それを見た一瞬間に福太郎は、
「彼岸の中日《ちゅうにち》になると真赤な夕日が斜坑の真正面《まむこう》に沈むぞい。南無《なむ》南無南無……」
と云って聞かせた老坑夫の顔を思い出したようにも思ったが、間もなく轟然たる大音響が前後左右に起って、息苦しい土煙に全身が包まれたように思うと、そのまま気が遠くなった。
……何もかもわからなくなってしまった。
中
「福太郎が命拾いをしたちうケ」
「小頭《こがしら》どんがエライ事でしたなあ」
なぞと口々に挨拶をしながら表口から這入って来る者……。
「どうしてマア助かんなさったとかいな」
「土金神《どこんじん》さんのお助けじゃろうかなあ」
と見舞を云う男や女の群で、二室《ふたま》しかない福太郎の納屋が一パイになってしまった。
そのまん中に
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