この頃では芸術とか非芸術とか言ったような相対的な批判区域までも一気に駈け抜けて、一望漠々たる砂漠を息のあらん限り走っては倒れ、倒れてはよろめき走りしているように見える。甚だ想像を逞しくした言い現わし方であるが、実さんの芸を見ているとソンナ気がするから仕方がない。実さんが舞台上に発散する妖気のあらわれは、そうした心境の奥の奥からほのめき出る痛々しい感じを多分に含んでいるのだ。
 実さんは自分の一刹那の気持を分析する力が極めて強い。サシの型一つを練習するのに何十遍となくサシてみても、そのサシが純粋にならないと、忽ち両脚を踏みはだけて、両手を肩の処から振り千切るように振りまわす。それから又繰り返してサシてみても息が切れて、汗が出るばかりでうまく行かない。トウトウ悲鳴をあげて「誰か背後から突き飛ばしてくれ」と叫んだりする。それが十六、七の時代のことである。毎晩袴を穿いて、扇を抱いて寝ていてハッと眼をさますと、すぐに舞台に飛び上ったのもその頃の事だ。だから今でも実さんが舞台に立つと臓腑がキリキリと巻き締まって、毛穴がピッタリと閉じるのが眼に見えるように思う。血の気がなくなって、奥歯がギューと締ま
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