、十五の年に六平太先生の道成寺の鐘を引いた一事でもわかる。ホントか嘘か知らないが、他人に聞かれた時の用心に楽の中の拍子の数を数えたと言う話である。これなんかは一方から見たら馬鹿馬鹿しい話かも知れないが、とにかく万事がそんな風で、どこまで研究が行き届いているのか、吾々素人には見当が付かない。そうしてその上にその上にと自分の尻ベタに鞭打っている。家元としてコレ位出来ていればまず……なんて考え方は毛頭ない。しかも実さんの舞台上の妖気はそこから生まれて来るのだ。
 実さんは「僕から能を除けばゼロだ。今に能では喰えなくなる時代が来たとしても仕方がない。ほかの事はやる気がしないからね」と淋しそうに言う。しかも内心は安心し切っているらしいので、死ぬまで謡いそうな決心がほの見える。そこに実さんの舞台上の妖気が生まれる第一の根本原因がある。
 そんな気持だから実さんは毎日毎日寝ても醒めても自分の尻をタタイて、能の世界の奥へ奥へと盲進していなければ生きていられない。その結果、見物の批評とか、家元としての資格とか言ったような、世間的、もしくは人間的な研究の対照標準をトックの昔に超越してしまっている。そうして
前へ 次へ
全11ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング