ない方がいいかも知れない。又説明出来ないものかも知れない。現代の能楽界でタッタ一人そんな能を舞い得る青年として、ソッと取って置く方がいいかも知れない。この考えは同感の人が些くないであろうと思う。
ところが豈計らんやである。実さんは日常到るところで、そうした妖気の出て来る原因を公表している。そうして泣きそうな顔をしたり、アハハと笑ったりしている。わかったとかわからないとか言って……。つまり自分でもわかっていないのじゃないかとも思うが。
実さんと交際して第一に気付くのは世間的の知識がゼロと言うことである。銀座の往来の左右に電気ストーブを並べてパーッと暖かい空気を放射させる設備をなぜしないのだろう……などと真剣に質問する。内弟子の末輩とムキになって喧嘩したり、芸の上の議論でズブの素人と口角泡を飛ばす位の事は日常茶飯である。極端に言えば能以外の事は一種の痴呆と言っていいであろう。
ところが能の事となると、まるで違う。世間の事に対して非常識な程度にまで無関心であるのと正反対に、非常識な程度にまで突っ込んで研究する。勿論、能楽としての常識や技術は人の知らない間に知りつくし備えつくしているのは
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