そうしてあの手紙をあの女が読み初めたのです」
 玲子は恐ろしかったその時のことを思い出して今更のように身体《からだ》を縮めた。
「あの時のあの女の度胸のよかったこと……あんなにも恐ろしい手紙を読みながら平気の平左で、即座に玲子さんを欺して、この僕をオビキ寄せさせようとした、あの智慧の物すごかったこと……僕はあのルンペン男の背後に隠れて聞きながらゾッとしてしまいましたよ」
 と言いさして中林先生はホッとふるえたタメ息をした。玲子もまたガタガタふるえ出しそうになったのを中林先生の腕に縋ってやっと我慢した。
「けれどもあの時にあの女がアノ手紙を読んだり、その文句を冷やかしたりさえしなければ、あの女は殺されなくともよかったのでしょう。『雉《きじ》も啼かずば撃たれまいに……』という諺《ことわざ》の通りであの女は命を取られる運命を自分で招きよせたのでした。……あの手紙を読んでいる中《うち》にあの女が、あの女の前の夫を馬鹿にしている。自分を怨んでいる前の夫の脱獄囚を嘲笑《あざわら》い振り棄てて自分一人でうまいことをして逃げようとしている。うっかりすると又、警察へ密告する気かも知れない……と気がついたのであの男はカアッとなってしまったのでしょう。玲子さんが三階へ上ると間もなくあの女の寝室へ忍び込んで、何をするかと思ううちに、一気に刺殺《さしころ》してしまったのです。つまり天罰を下したつもりなのですね。ですから僕は直ぐにあの男の背後から近付いて不意打ちの当て身を一つ喰わして電気|炬燵《こたつ》のコードでしっかりと縛って、あの寝室の隣りの標本室の大机の足にしっかりと縛りつけて、外から鍵を掛けておいたのです。あの大机の上には鳥の剥製を作る硝子《ガラス》の道具や、劇薬毒薬の瓶を山のように積み上げておきましたから、あの男は息を吹き返しても身動き一つ出来ないでしょう。……そのほかのものは殺人の現場の塵一本、動かしてないのですから、今にも警察の人が来て調べたら何もかもホントウのことがわかるでしょう。ただ一つ惜しいことにあの手紙は焼き棄ててしまってあるようですが、しかし中味の文句は僕がハッキリ記憶《おぼ》えておりますから大丈夫です。玲子さんも記憶《おぼ》えているでしょうね」
 玲子は唇の色までなくしたまま中林先生の顔を見上げてうなずいた。
 中林先生も一層、微笑を深めてうなずいた。
「それならばイ
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