継子
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)睡《ね》むられず

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)支那|絨氈《じゅうたん》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
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 どこか遠くで一つか二つか鳴るボンボン時計の音を聞くと、睡《ね》むられずにいた玲子はソッと起上った。
 屋根裏の窓に引っかかっている春の夜の黄色い片割《かたわれ》月を見上げながら、洗い晒《さら》しの綿ネルの単衣《ひとえ》一枚に細帯を一つ締めて、三階の物置の片隅に敷いてある薄ッペラな寝床から脱け出した。鼻を抓《つま》まれてもわからない暗黒の中を素跣足《すはだし》の手探りに狭い梯子段《はしごだん》を二階のサロンに降りて来た。
 ……この頃来なくなっている玲子の家庭教師の大学生、中林哲五郎先生に昨日《きのう》の昼間、速達で出した手紙の文句を思い出しながら……。

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 中林先生。早く玲子を助けに来て下さい。
 今のお母さんが去年の十二月にいらっして、先生が私の家《うち》に来て下さらなくなってからというもの玲子は泣いてばかりおりますの。先生がよく玲子にお話して聞かして下すった西洋の探偵小説とソックリの怖い怖い悲しい悲しいことばかりが玲子の家《うち》の中一パイに渦巻いております。
 去年からコカイン中毒になって弱っておいでになったお父様が、二三日前に急に思い立って信州へ鳥の研究にお出かけになってからというもの、そんな怖い悲しいことが急に私のまわりに殖えて来ました。ですけども詳しいことは書いている隙《すき》がありません。
 玲子の家《うち》に泥棒が這入《はい》りそうですの。そうしてお母様を殺しそうですの。私どうかしてお母様を助けて上げたくてしようがありませんけど、とても怖くて怖くてそんなことが出来そうにありません。
 今朝《けさ》、学校に行きがけに怖い顔をしたルンペンの小父《おじ》さんから手紙を一通ことづかりました。お父様の所番地にいる根高弓子という女の人のアテナになっております。それを誰にもわからないように、お前のお母さんに渡せ……うまく渡さないとお前は、お母さんに殺されてしまうぞって言って怖い顔をして睨まれました。
 うちのお母様は根高弓子なんていいません。大沢竜子っていうのですから、あ
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