取したに違いない。資本主義文化が体現するところの、虚無思想、唯物思想の機構の中に、血も涙も無い無良心な、獣性丸出しの優勝劣敗哲学と、功利道徳の行き止まり状態を発見したに違いない。そうして王政維新後、滔々たる西洋崇拝熱と共に鵜呑《うの》みにされて来た、こうした舶来の思想に侵犯され、毒化されて行きつつ在る日本の前途を見て、逸早《いちはや》く寒毛樹立したに違いない。
 当時の藩閥と、政党者流の行き方は、正にこの西洋流の優勝劣敗哲学、唯物一点張りの黄金崇拝式功利道徳の顕現であった。外国の政治組織を日本の政体の理想とし、権利義務式の功利道徳、法律的理論を以《もっ》て日本の国体を論じ合いつつ上下共に怪しまなかった時代であった。
 その中に、藩閥にも属せず、政党の真似もしない玄洋社の一派は、依然として頭山満を中心として九州の北隅に蟠《わだか》まりつつ、依然として旧式の親分|乾分《こぶん》、友情、郷党関係の下に、国体擁護、国粋保存の精神を格守しつつ、日に日に欧化し、堕落して行く藩閥と政党を横目に睨《にら》んで、これを脅威し、戦慄せしめつつ、無けなしの銭《ぜに》を掻き集めては朝鮮、満蒙等の大陸的工作に憂身《うきみ》を窶《やつ》して来た。
 その中に政党屋流にも堕せず、玄洋社流にも共鳴しなかった彼、杉山其日庵主は、単身|孤往《こおう》、明治後半期の政界の裡面にグングンと深入りして行った。
「玄洋社一流の真正直に国粋的なイデオロギーでは駄目だ。将来の日本は毛唐と同じような唯物功利主義一点張りの社会を現出するにきまっている。そうした血も涙も無い惨毒そのもののような社会の思潮に、在来の仁義道徳『正直の頭《こうべ》に神宿る』式のイデオロギーで対抗して行こうとするのは、西洋流の化学薬品に漢法の振出し薬を以て対抗して行くようなものだ。その無敵の唯物功利道徳に対して、それ以上の権謀術数と、それ以上の惨毒な怪線を放射して、その惨毒を克服して行けるものは天下に俺一人しか居ない筈だ。だから俺は、俺一人で……ホントウに俺一人で闘って行かねばならぬ。俺みたいな人間はほかに居る筈がないと同時に、俺みたいな真似は他人にさせてはならないのだ。だから俺は、どこまでも……どこまでも俺一人で行くのだ」
 彼は若いうちに、そう悟り切ってしまったらしい。そうして今日までもこうした悟りを以て生涯を一貫して行く覚悟らしく見える。

 それから後《のち》の彼は実際、目的のために手段を選まなかった。そうして乾児《こぶん》らしい乾児を一人も近づけないまま、万事タッタ一人の智恵と才覚でもって着々として成功して来た。
 彼はソレ以来いつも右のポケットに二三人の百万長者を忍ばせていた。そうして左のポケットにはその時代時代の政界の大立物を二三人か四五人忍ばせつつ、彼一流の活躍を続けて来た。「俺の道楽は政治だ」と口癖のように彼は云い続けて来たのであるが、しかし彼が果して、どんな政治を道楽にして来たか、知っている者は一人も居ない。同時に彼の左右のポケットに入れられている財界、政界の巨頭連が、どうして彼のポケットに転がり込んで来たか……もしくは転がり込ませられて来たか、知っているものは一人も居ないようである。そうして唯驚いて、感心して、彼の事を怪物怪物と評判して、彼のためにチンドン屋たるべく利用されているようである。

 事実、彼は現代に於ける最高度の宣伝上手である。彼に説明させると日清日露の両戦争の裡面の消息が手に取る如くわかると同時に、その両戦役が、彼の指先の加減一つで火蓋を切られた事が首肯されて来る。世人はだから彼を綽名《あだな》して法螺丸《ほらまる》という。しかし一旦、彼に接して、彼の生活に深入りしてみると、その両戦役前後に於ける朝野の巨頭連は皆、彼の深交があった事がわかる。事ある毎《ごと》に彼に呼び付けられて、お説教を喰って引退っていた事が、事実上に証明されて来る。そこで、イヨイヨホントウに心の底から驚いて、彼に何等かの御利益を祈願すべく、お賽銭《さいせん》を懐《ふところ》にして参詣して来る実業家が何人居るかわからない。そうして彼が絶対にお賽銭を取らない神様である事がわかるにつれてイヨイヨ崇拝敬慕の念を高める事になって来る。
 そんな人間にはイクラ云って聞かせる者が居てもわからない。
「君は法螺丸の法螺に引っかかっているのだ。そんな朝野の名士連は、皆、法螺丸に一身上の秘密や弱点を握られているか又は、彼等自身が法螺丸の巧妙、精密を極めた話術に魅せられて、法螺丸にそれだけの実力があるものと信じさせられているのだ。彼が古今無双のシャーロック・ホームズであると同時に、前代未聞のアルセーヌ・ルパンである事を君は知らないのだ。彼はそんな調子で現代日本の政界財界に、あらゆる機会を利用して法螺の空《から》小切手を濫発《らんぱつ》している。その空小切手を掴んだ連中は、その空小切手を潰されちゃ堪らないもんだから、寄ってたかってその空小切手を裏書きすべく余儀なくされているのだ。福沢桃介が法螺丸にシテヤラレた話だって、眉唾《まゆつば》ものかも知れないんだよ」
 と狐を落すように卓《テーブル》をたたいても、
「イヤ。たしかに法螺丸は豪《えら》いと思うね。それだけの空小切手を廻すだけでも、並の人間には出来ない事じゃないか」
 といったような事になってしまう。

 事実、法螺丸の法螺は、大隈重信の法螺とは段違いのところがある。少くとも大隈重信の法螺は、百科辞典の範疇を出《い》でないのに対して、法螺丸の法螺はたしかに百科辞典を超越した一種の洒落気《しゃれけ》と魔力とを兼ね備えている。たとえば医学博士を掴まえて医術の講釈をこころみ、禅宗坊主を向うに廻わして禅学の弊害を説教する。三井物産の重役が来ると不景気の救済策を授け、外務大臣が来ると軍部の実力を説いて感心させ、軍部の首脳部と会談すると外交の妙諦を説法して頭を掻かせる。皆、彼、法螺丸一流の悪魔のような理解力と、記憶力を基礎として、彼一流の座談の妙諦を駆使した、所謂、巧妙な空小切手であるのみならず、三時間でも五時間でもタッタ一人で喋舌《しゃべ》っておいて、そんな連中が帰ると直ぐに、あとから訪問して待っていた客に、
「イヤ。どうもお待たせしました。彼奴《きゃつ》が来ると長尻でね。僕の所を煩悶解決所と心得て一人で喋舌って帰るのでね」
 なぞとズバズバやるので、相当気の強い連中でもグラグラと参ってしまう。法螺丸の法螺がイヨイヨ後光がさして来る事になる。

 次に、法螺丸の法螺の実例を列挙してみる。
 医学博士を掴まえて曰《いわ》く、
「医者という商売は、商売とは云えませんね。何より先に脈を手に取る瞬間から、こいつを殺してやろうとは思っていない。たしかに助けてやろうと思っているのだから、商売とは云い条、全然、商売気を離れている。人の面《つら》さえ見れば儲けてやろうと思っている奴ばかり多い世の中にタッタ一つ絶対に信用出来るのはお医者様ですね」
 と来るから大抵の医学博士は感心してしまう。すっかり喜んでしまって、自分の苦心談や、研究の内容なぞをドン底まで喋舌ってしまう。法螺丸は又、そいつを地獄耳の中に細大洩らさずレコードしておいて、ほかの医学博士に応用する。
「独逸《ドイツ》の医学も底が見えて来ましたね。たとえばインシュリンの研究なんか……」
 なぞと引っ冠《かぶ》せて来るから肝を潰してしまう。その肝の潰れた博士を選んで法螺丸は、政界の有力者の処へ腎臓病のお見舞に差し遣わすのだから深刻である。
 禅宗坊主が寄附を頼みに来ると法螺丸曰く、
「禅宗は仏教のエキスみたいなものですな。面壁九年といって、釈迦一代の説法、各宗の精髄どころを達磨《だるま》という蒸溜器《ランビキ》に容《い》れて煎《せん》じて、煎じて、煎じ詰める事九年、液体だか気体だかわからない。マッチで火を点《つ》けるとボーッと燃えてしまって、アトカタも残らない。最極上のアルコールみたいな宗旨が出来上った。ところで、それは先ず結構としても、その最極上のアルコールをアラキのまま大衆に飲ませようとするからたまらない。大抵の奴は眼を眩《ま》わして引っくり返ってしまう。それから中毒を起して世間の役に立たなくなる。物を言いかけても十分間ぐらい人の顔をジイッと見たきり返事をしないような禅宗カブレの唐変木《とうへんぼく》が出来上る。又は浮世三|分《ぶ》五|厘《りん》、自分以外の人間はミンナ影法師ぐらいにしか見えない。義理人情を超越してしまうから他人の物も自分のものも区別が付かない。女も、酒も、金も、職業も要らない。その代り縦の物を横にもしない。電車に乗せるたんびに終点まで行ってしまうような健康な精神病者や痴呆患者が出来上る。そんな禅宗病患者が殖《ふ》えたら日本は運の尽きだと思いますよ。私も考えますから、貴方がたもよく考えて下さい」
 といったような事を云われると、相手も宗教の問答に来たのじゃない。寄附を頼みに来た弱味があるのだから歩《ぶ》が悪い。「喝《かつ》」とも何とも云わずに帰ってしまう。

 潰れかかった銀行屋さんが来て、救いを求めると、法螺丸は背中を撫でてやらんばかりにして慰める。曰く、
「そんなに心配しているとその心配で銀行が潰れてしまうよ。百円紙幣が銀行を経営しているのじゃない。人間が百円紙幣を使って銀行をやっているんだから、人間さえシッカリしておれば、潰れる気づかいはないもんだよ。金《かね》が無くなると同時に銀行が潰れるように思うのは、世間を知らないで算盤《そろばん》ばっかり弾《はじ》いている人間特有の錯覚なんだよ。ウンと頑張り給え。世間は広いんだ。人間万事、気で持って行くんだ。金なんか気持ちの家来みたいなもんだ。コンナ話がある聞き給え。二百万や三百万の金は屁《へ》でもなくなる話だ。
 日清戦争以前の事だったが、支那の横暴を憎み、露西亜《ロシア》の東方経略を警戒した玄洋社の連中が、生命《いのち》知らずの若い連中を満蒙の野《や》に放って、恐支病と恐露病に陥っている日本の腰抜け政府を激励し、止むを得なければ玄洋社の力で戦争の火蓋を切ってやろうというので、寄ると触《さわ》ると腕を撫でたり四股を踏んだりしたもんだが、生憎《あいにく》な事に金が一文も無い。むろん頭山満も貧乏の天井を打っている時分だ。俺にも相談だけはしてくれたが、三月《みつき》縛《しば》り三割天引という東京切ってのスゴイ高利貸連を片端《かたっぱし》から泣かせて、
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かくばかりたふしても武蔵野の
  原には尽きぬ黄金草《こがねぐさ》かな
[#ここで字下げ終わり]
 なんてやってた時代だから満蒙経営どころか、わが家賃を払うのすら勿体ない非常時なんだ。
 そこへ誰が聞いて来たか、ドエライ話が転がり込んで来たもんだ。その頃まだ元気で居た日本一の正直物、大井憲太郎という爺さんが、眼の色を変えて担ぎ込んだ話のようにも思うが、とにかくこんな話だ。……その頃まで北海道の砂金といったらカリフォルニヤの向う張る勢いで、しかも夕張川の上流の各支流の源泉附近は到る処、砂金ならざるなしという評判で、全国の成金病患者がワンワンと押しかけていたものだ。……ところが不思議な事に、その砂金が、本流の夕張川の下流に在る名前は忘れたが一つの大きな滝を段階として、その下流には一粒の砂金も見当らない。つまるところ、その滝壺の底にはイザナギ、イザナミの尊《みこと》以来、沈澱している砂金が、計算してみると四百億円ぐらいは在るらしい……というのだ。エライ事を考えたもんだ。
 これには流石《さすが》の頭山満もチョイト本気になったらしい。俺も貧すれば鈍するでスッカリ共鳴してしまって技師を派遣する費用の調達を引受ける事になった。つまりその滝の横に運河を掘ってその滝の上流を堰《せ》き止めて、滝壺の水を掻き干して、底の方に溜まっている四百億円の砂金をスコップで貨車へ積み込もうという曠古《こうこ》の大事業だ。その費用を調達のために俺は白真剣《しらしんけん》になって東奔西走したものだ。その頃雇っていた抱え俥《く
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