近世快人伝
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)披《ひら》く

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)頭山先生|懐中《ふところ》から

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)磅※[#「石+(蒲/寸)」、第3水準1−89−18]《ほうはく》
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     まえがき


 筆者の記憶に残っている変った人物を挙げよ……という当代一流の尖端雑誌新青年子の註文である。もちろん新青年の事だから、郵便切手に残るような英傑の立志談でもあるまいし、神経衰弱式な忠臣孝子の列伝でもあるまいと思って、なるべく若い人達のお手本になりそうにない、処世方針の参考になんか絶対になりっこない奇人快人の露店を披《ひら》く事にした。
 とはいえ、何しろ相手が了簡《りょうけん》のわからない奇人快人揃いの事だからウッカリした事を発表したら何をされるかわからない。新青年子もコッチがなぐられるような事は書かないでくれという但書《ただしがき》を附けたものであるが、これは但書を附ける方が無理だ。奇行が相手の天性なら、それを書きたいのがこっちの生れ付きだから是非もない。サイドカーと広告球《アドバルン》を衝突させたがる人間の多い世の中である。お互いに運の尽きと諦めるさ。
[#改ページ]


   頭山満


 ナアーンダ。奇人快人というから、どんな珍物が出て来るかと思ったら頭山《とうやま》先生が出て来た。第一あんまり有名過ぎるじゃないか。あんなのを奇人快人の店に並べる手はない。明治史の裡面に蟠踞《ばんきょ》する浪人界の巨頭じゃないか。維新後の政界の力石《ちからいし》じゃないか。歴代内閣の総理大臣で、この先生にジロリと睨《にら》まれて縮み上らなかった者は一人も居ない偉人じゃないか……とか何とか文句を云う者が大多数であろう。
 ……怪《け》しからん。頭山先生を雑誌の晒《さら》し物にするとは不埒《ふらち》な奴じゃ。頭山先生は現代の聖人、昭和維新の原動力だ。そんな無礼な奴は絞め上げるがヨカ……とか何とか腕まくりをして来る黒切符組もないとは限らないが、まあまあ待ったり。話せばわかる。
 筆者のお眼にかかった頭山先生は、御自身で、御自身を現代の聖人とも、昭和維新の原動力とも、何とも思って御座らぬ。「俺は若い時分にチットばかり、漢学を習うたダケで、世間の奴のように、骨を折って修養なぞした事はない。一向ツマラヌ芸無し猿じゃ」と自分でも云うて御座る。それでいて西郷隆盛の所謂《いわゆる》、生命《いのち》も要らず、名も要らず、金も官位も要らぬ九州浪人や、好漢安永氏の所謂「頭山先生の命令とあれば火の柱にでも登る」というニトロ・グリセリン性の青年連に尻を押されて、新興日本の尻を押し通して御座った……しかも一寸一刻も、寝ても醒めても押し外した事はなかった。日本民族をして日清、日露の国難を押し通させて、今は又、昭和維新の熱病にかかりかけている日本を、そのまんま、一九三五年の非常時の火の雨の中に押し出そうとして御座る。……ように見えるが、その実、御自身ではドウ思って御座るかわからない。ただ相も変らぬ芸無し猿、天才的な平凡児として持って生まれた天性を、あたり憚《はばか》らず発揮しつくしながら悠々たる好々爺《こうこうや》として、今日《こんにち》まで生き残って御座る。老幼賢愚の隔意なく胸襟《きょうきん》を開いて平々凡々に茶を啜《すす》り、談笑して御座る。そこが筆者の眼に古今無双の奇人兼、快人と見えたのだから仕方がない。世間の所謂快人傑士が、その足下《あしもと》にも寄り付けない奇行快動ぶりに、測り知られぬ平々凡々な先生の、人間性の偉大さを感じて、この八十幾歳の好々爺が心から好きになってしまったのだから致し方がない。そうして是非とも現代のハイカラ諸君に、このお爺さんを紹介して、諸君の神経衰弱を一挙に吹飛ばしてみたくなったのだから止むを得ない。
 元来、頭山先生が、この新青年に、きょうが日まで顔を出さないのが間違っている。それも頭山先生が時代遅れのせいではない。却《かえ》って新青年誌の方が頭山老人の思想よりも立ち遅れている事を筆者は確信しているのだから是非もない。ここに先生の許しを得て、逸話を御披露する。
 頭山満《とうやまみつる》翁の逸話といったら恐らく、浜の真砂《まさご》の数限りもあるまい。頭山満翁はさながらに逸話を作りに生まれて来たようなもので、その奇行快動ぶりといったら天下周知の事実と云っても憚らない位である。
 しかし仔細に点検して来ると、その鬼神も端倪《たんげい》すべからざる痛快的逸話の中にも牢乎《ろうこ》として動かすべからざる翁一流の信念、天性の一貫しているところを明白に認める事が出来る。
 すなわち翁の行動には智力を用いた形跡がない。何でも行きなりバッタリの無造作、無鉄砲を以《もっ》て押通して行くところに、翁の真面目《しんめんもく》が溢るるばかりに流露している。そうしてその真面目が、日常茶飯事に対しては意表に出づる逸話となり、国事に触れては鉄壁を砕く狂瀾怒濤となって行くもののようである。
 蛇《じゃ》は寸《すん》にして蛇《へび》を呑む。翁が十歳ばかりの年の冬に家人から十銭玉を一個握らせられて、蒟蒻《こんにゃく》買いに遣《や》られた。その頃の蒟蒻は一個二厘、三厘の時代であったから、定めし十個か二十個買って来いという家人の註文であったろう。
 ところが十幾歳の頭山満は蒟蒻屋の店先に立つと黙って十銭玉を一個投出したので、店の主人は驚いた。
「これだけミンナ蒟蒻をば買いなさるとな」
 翁は簡単にうなずいた。
 蒟蒻屋の主人は蒟蒻を山のように数えて、翁の前に持って来た。
「容れ物をば出しなさい」
 翁はやはりだまって襟元《えりもと》を寛《くつろ》げた。ここへ入れよという風に、うつむいて見せた。そうして主人が驚いて見ているうちに、氷よりも冷たい蒟蒻の山を懐中《ふところ》に掴み込んで、悠々と家《うち》へ帰った。
 頭山翁は終生をこの無造作と放胆振りでもって押通している。
「俺は無器用な奴じゃがのう。しかし、その無器用な御蔭で、天下の形勢の図星だけは見外《みはず》さぬようになっとる」云々。
「しかしこの頃俺に書画、骨董《こっとう》や、刀剣の鑑定を持込んで来るには閉口しとる。一番わからん奴の処へ見せに来る訳じゃからの。ハハハハ」

 グロの方ではコンナ傑作がある。
 大阪に菊地なにがしという市長が居たことがある。仲々の遣手《やりて》でシッカリ者という評判であったが、これに頭山先生が、何かの用を頼むべく会いに行った事がある。同伴者は先生の親友で、後《のち》の玄洋社長の進藤喜平太氏であったというが、市長官舎の応接室に通されて待てども待てども菊地市長が現われて来ない。天下の豪傑、頭山満が来たというので、才物の菊地市長尊大ぶって、羽根づくろいをするために待たせたものらしいという後人《こうじん》の下馬評である。
 ちょうどその時に頭山先生は、腹の中でサナダ虫を湧かして、下剤を飲んでいたので、そいつが利いたと見えて待っているうちに尻の穴がムズムズして来た。そこで頭山先生|懐中《ふところ》から股倉へ手を突込んで探ってみると、何かしら柔らかいものがブラリと下っている。抓《つま》んで引っぱってみると、すぐにプツリと切れてしまった。股倉から手を出してみるといかにも名前の通りに白い、平べったい、サナダ紐《ひも》みたいなものが一寸ばかりブラブラしている。
 見ると目の前に、見事な金|蒔絵《まきえ》をした桐の丸胴の火鉢があったので、頭山先生その丸胴の縁《ふち》に件《くだん》のサナダ虫を横たえた。進藤喜平太氏も不審に思って覗いてみたが、何やらわからないので知らん顔をしていたという。
 そのうちに又、頭山先生のお尻の穴がムズムズして来たので、又手を突込んで引っぱると、今度は二寸ばかりの奴が切れ離れて来たヤツを、やはり眼の前の火鉢の縁へ、前の一片《ひときれ》と並べておいた。察するに頭山先生いい退屈|凌《しの》ぎを見付けたつもりであったろう。悠々と股倉へ手を突込んでは一寸、又二寸とサナダ虫の断片を取出して、火鉢の縁へ並べ初めた。
 誰でも知っている通りサナダ虫は一|丈《じょう》も二丈もある上に、短かい節々のつながりが非常に切れ易いので、全部を引出し終るにはナカナカ時間がかかる。とうとう火鉢の周囲《まわり》へ二まわり半ほど並べたところへ、やっとの事、御大将の菊地市長が出て来た。黒|羽二重《はぶたえ》五つ紋に仙台平《せんだいひら》か何かの風采堂々と、二人を眼下に見下して、
「ヤア。お待たせしました」
 と云いながら真正面の座布団に坐り込んだが、火鉢の縁へ手を載せたトタンにヒイヤリとしたので、ちょっと驚いたらしく掌《てのひら》を見ると、白い柔らかい、平べったい、豆腐の破片みたようなものが手の平へ二三枚ヘバリ付いている。嗅いでみると異様なたまらない臭いがする。菊地市長いよいよ驚いたらしく背後《うしろ》をかえりみて女中を呼んだ。
「オイオイ。この火鉢の縁の……コ……コレは何だ」
 女中が真青に面喰った。ちょっと見たところ、正体がわからないし、自分が並べたおぼえがないので、返事に窮していると頭山先生が静かに口を開いた。
「それは僕の尻から出たサナダ虫をば並べたとたい」
 菊地市長は「ウワアッ」と叫んで襖《ふすま》の蔭に転がり込んで行ったが、それっ切り出て来なかった。
 二人は仕方なしに市長官舎を辞したが、門を出ると間もなく正直者の進藤喜平太氏が、
「折角会えたのに惜しい事をした」
 とつぶやいた。頭山先生は又も股倉へ手を突込みながら、
「フフン。あいつは詰らん奴じゃ」

 まだある。
 これは少々グロを通り越しているが、頭山翁の真面目を百パーセントに発揮している話だから紹介する。頭山翁が玄洋社を提《ひっさ》げて、筑豊の炭田の争奪戦をやらせている頃、福岡随一の大料理屋|常盤《ときわ》館で、偶然にも玄洋社壮士連の大宴会と、反対派の壮士連の大宴会が、大広間の襖一枚を隔ててぶつかり合った。
 何がさて明治もまだ中途|半端《はんぱ》頃の血腥《ちなまぐさ》い時代の事とて、何か一《ひ》と騒動初まらねばよいがと、仲居《なかい》、芸妓《げいぎ》連中が心も空にサービスをやっているうちに果せる哉《かな》始まった。
 合《あい》の隔《へだ》ての襖が一斉に、どちらからともなく蹴開《けひら》かれて、敷居越しに白刃《しらは》が入り乱れ、遂には二つの大広間をブッ通した大殺陣が展開されて行った。
 大広間に置き並べられた百|匁《め》蝋燭《ろうそく》の燭台が、次から次にブッ倒れて行った。
 そうして最後に、床の間の正面に端座している頭山満の左右に並んだ二つの燭台だけが消え残っていた。これは広間一面に血の雨を降らせ合っている殺陣連中が、敵も味方も目が眩《くら》んでいながらに、そうした頭山満の端然たる威風に近づくとハッと気が付いて遠ざかったからであった。
 その頭山満の左右と背後の安全地帯に逃げ損ねた芸者仲居が、小さくなって固まり合って、生きた空もなくなっていた。しかし頭山翁は格別変った気色《けしき》もなく、活動のスクリーンでも見てるような態度で、眼前《めのまえ》の殺陣を眺めまわしていたが、そのうちにフト自分の傍《そば》に一人の舞妓がヒレ伏しているのに気が付くと、片手でその背中を撫でながら耳に口を寄せた。
「オイ。今夜俺と一緒に寝るか」
 これは頭山翁お気に入りの仲居、筑紫お常婆さんの実話である。この婆さんも亦《また》、一通りならぬ変り物で、ミジンも作り飾りのない性格であったから、機会があったら別に紹介したいと思う。
 この婆さんが黙って死んだのでホッと安心して御座る北九州の名士諸君が多い事と思うが、しかしまだまだ御安心が出来ませぬぞ。この婆さんから筆者がドンナ話を聞いているか知れたものではないのだから……。

 頭山翁のノンセンス振りと来
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