うめ》かんでもヨカ。御苦労御苦労。こちの方がヨッポド済まん。ところで済まん序《ついで》にチョット待っとれ。骨休めするケニ』
私はその五円札を一枚持って飛出いて、近所の酒屋から土瓶に二杯、酒を買うて、木賃宿から味噌を一皿貰うて来ました。何しろ暫く飢渇《かわ》いておったところですから、骨休めというので、ツン公と二人で燗もせぬ酒をグビリグビリやっております、とその横で大惣がウンウン唸り出しました。又、私の袖を引きますので五月蠅《せから》しい奴と思うて振向きますと、大惣の奴、熱で黒くなった舌を甜《な》めずりまわしております。
『……オレ……モ……一パイ……ノム……』
『途方もない事をば云うな。馬鹿……その大病で酒を飲むチウ奴があるか。即死《しまえ》てしまうぞ』
大惣の落ち凹《くぼ》んだ眼の色が変りました。涙をズウウと流しながら歯ぎしりをして半分起き上ろうとします。
『ソノ……サケハ……オレノ……キモノ……テツケジャ……。オレモ……ノム……ケンリ……ケンリガ……アル……』
私は胸が一パイになりました。
『アハハハハ。これは謝罪《あやま》った。俺が悪かった悪かった。よしよし。わかったわかった。寝とれ寝とれ。サア飲め。ウント飲め。末期の水の代りに腹一パイ飲め……』
そんな状態《わけ》で、病人と介抱人が日本一の神様みたようになってグーグー眠ってしまいましたが、その中に大惣の声で……、
『オイオイ。湊屋。起きんか。モウ正午《ひる》過ぎぞ』
と云うて私を揺り起しますので、ビックリして跳ね起きますと……ナント……大惣が起きて、私どもの枕元に座っております。神霊《ごしん》の上がったようなポカンとした顔《つら》をしております。
『ウワア。貴様……起きとるとや』
『ウン。気持《きしょく》のええけに起きてみた』
『何や。……全快《なお》ったとや』
『ウン。今、小便に行《い》て来たが、ちいっとばっかしフラフラするダケじゃ。全快《ような》ったらしい』
『ウワア……それは大変事《おおごと》の出来《でけ》とる。いま全快《ような》っちゃイカン』
『イカンち云うたてチャ俺が困る』
『コッチも困るじゃないか。貴様の生胆《きも》の手附の金をばモウ崩いてしもうとる』
『何でもええ。貴様に任せる。生胆《きも》の要るなら遣る』
『馬鹿……今、貴様の生胆《きも》を取れあ、俺が懲役に行くだけじゃないか……おいツン州……大変事《おおごと》の出来たぞ』
『……芽出度《めでた》い……』
『殴《くら》わせるぞ畜生。芽出度過ぎて運の尽きとるじゃないか』
『ドウすれあ良《え》えかいな』
『仕様はない。逃げよう。支那人《チャンチャン》が来て五円戻せチュータてちゃ、あの五円札は酒屋から取戻されん。そんならチいうて大惣の病気をば今一度、非道《ひどう》なす訳には尚更行かん……よしよし……俺が一つ談判して来てやろう』
それから木賃宿のオヤジに談判しますと、宿賃は要らん。大病人に死なれちゃタマラン。早よう出てくれいと云います。
コッチは得たり賢しです。直ぐにヒョロヒョロの大惣をツン州の背中へ帯で十文字に結び付けて、外へ出ましたが、別段、どこへ行くという当ても御座いません。その中《うち》にフト稲佐の山奥へ、私の知っている禅宗坊主が居る事を思い出しまして、昨夜《ゆんべ》の鐘の音は、もしやソイツの寺じゃないか知らんと気が付きました。何ともハヤ心細い、タヨリにならぬ空頼みをアテにして、足に任せて行くうちに、何しろ十二月も三十日か三十一日という押詰まっての事で、ピューピュー風に吹かれた大病人上りの大惣が寒がります。哀れなお話で、今にも凍え死にそうな色になって『寒い寒い』と云いますので、タッタ一枚着ておりました私の褞袍《どてら》を上から引っ被《かぶ》せて、紅褌《あかべこ》一貫で先に立って、霜柱だらけの山蔭をお寺の方へ行きますと、暫く行く中《うち》に、大惣は元来の大男で、ツン州の力が足らぬと見えて、十文字に縛った帯が太股《ももどう》に喰い込んで痛いと大惣が云い出しました。
私はトウトウ腹が立ってしまいました。裸体《はだか》のままガタガタ震えながら大惣を呶鳴《がみ》付けました。
『太平楽|吐《こ》くな。ええ。このケダモノが……何かあ。貴様が死《しに》さえすれあ二十円取れる。市役所へ五十銭附けて届けれあ葬式は片付く。アトは丸山に行《い》て貴様の狃除《なじみ》をば喜ばしょうと思う居《と》る処《と》に、要らん事に全快《よう》なったりして俺達をば非道《ひど》い眼に合わせる。捕らぬ狸の皮算用。夜中三天のコッケコーコーたあ貴様《ぬし》が事タイ。それでも友達甲斐に連れて来てやれあ、ヤレ寒いとか、太股《ももどう》の痛いとか、太平楽ばっかり祈り上げ奉る。この石垣の下に捨てて行くぞ……エエこの胆泥棒《きもぬすと》……』
『ウ――ム。棄てるなら……助けると思うて……酒屋の前へ棄ててくれい。昨夜《ゆうべ》の釣銭《つる》をば四円二十銭置いて行《い》てくれい』
『ウハッ……知っとったか。外道《げどう》サレ』
そんな事で向うの禅宗寺へ逃込みますと、有難いことにその和尚という奴が、博多の聖福寺《しょうふくじ》から出た奴で、私たちの友達ですケニなかなか人物が出来《でけ》ております。
『ワハハハ。それは芽出度《めでた》い。人間そこまで行《い》てみん事には、世の中はわからん。よろしい引受けた。その支那人なら私も知ってる。ウチの寺へ石塔を建てて、その細工賃を一年ばかり石屋へ引っかけて、拙僧《わし》に迷惑をかけとる奴じゃ。ええ気味《きび》じゃええ気味じゃ。文句附けに来たら私が出てネジて上げる。心配せずに一杯飲みない。オイ。了念了念。昨夜《ゆんべ》の般若湯《はんにゃとう》の残りがあろう。ソレソレ。それとあのギスケ煮(博多名産、小魚の煮干《にぼし》)の鑵を、ここへ持って来なさい』
というたような事でホッと一息しました。その寺で大惣に養生をさせまして、それから三人で平戸の塩鯨の取引を初めましたのが運の開け初めで、長崎を根拠《ねじろ》にして博多や下関へドンドン荷を廻わすようになりましたが、その資本《もとで》というたなら、大惣の生胆《いきぎも》一つで御座いました。人間、酒と女さえ止めれば、誰でも成功するものと見えますナア。ハハハハ……」
湊屋仁三郎の逸話は、この程度のものならまだまだ無限に在る。仁三郎の一生涯を通ずる日常茶飯が皆、是々的《このて》で、一言一行、一挙手一投足、悉《ことごと》く人間味に徹底し、世間味を突抜けている。哲学に迷い、イデオロギイに中毒して、神経衰弱を生命《いのち》の綱にしている現代の青年が、百年考えても実践出来ない人生の千山万岳をサッサと踏破り、飄々乎《ひょうひょうこ》として徹底して行くのだから手が附けられない。もしそれ百尺|竿頭《かんとう》、百歩を進めた超凡越聖《ちょうぼんおっしょう》、絶学《ぜつがく》無造作裡《むぞうさり》に、上《かみ》は神仏の頤《あご》を蹴放《けはな》し、下《しも》は聖賢の鼻毛を数えるに到っては天魔、鬼神も跣足《はだし》で逃げ出し、軒の鬼瓦も腹を抱えて転がり落ちるであろう。……こうした湊屋仁三郎一流の痛快な消息のドン底を把握し、神経衰弱の無限の乱麻を一刀両断しようと思うならば請う、刮目《かつもく》して次回を読め!
(中)
諸君は博多|二輪加《にわか》の名を御存じであろう。御覧にならない方々のためにチョッと知ったか振りを御披露申上げておくが、博多二輪加の本領というものは、東京の茶番狂言や、大阪二輪加なぞと根本的に仕組みの違ったもので、一切の舞台装置や、台本なぞいう面倒なものの御厄介にならない。普通在来の着のみ着のままに、半面《めかつら》をかけて舞台に上るなり、行きなり放題の出会い頭にアッと云わせたり、ドッと笑わせたりするのがこのニワカ芸術の本来の面目である(註曰――現在では台本や装置、扮装に凝《こ》って、単に普通の喜劇を、博多言葉に演ずる程度にまで堕落してしまっている)。だから本来の博多仁輪加では、その出演者同志がお互いに、人生、人情、世態に通暁徹底していなければいけない。お互いに舞台上の演出効果――蔭の花を持たせ合って、透《す》かさず舞台気分を高潮させ合い、共同一致のファインプレイを演出し合うだけの虚心坦懐さがなければ仁輪加の花は咲かない。この生活苦と、仁義、公儀の八釜《やかま》しい憂世《うきよ》を三分五厘に洒落《しゃれ》飛ばし、上《かみ》は国政の不満から、下《しも》は閨中《けいちゅう》の悶々事《もんもんじ》に到るまで、他愛もなく笑い散らして死中に活あり、活中死あり、枯木に花を咲かせ、死馬に放屁せしむる底《てい》の活策略の縦横|無礙《むげ》なものがなくては、博多仁輪加の軽妙さが生きて来ないのである。
湊屋の大将こと、篠崎仁三郎は、その日常の生活が悉《ことごと》くノベツ幕《まく》なしの二輪加の連鎖であった。浮世三分五厘、本来無一物の洒々落々《しゃしゃらくらく》を到る処に脱胎《だったい》、現前しつつ、文字通りに行きなりバッタリの一生を終った絶学、無方の快道人であった。古今東西の如何なる聖賢、英傑と雖《いえど》も、一個のミナト屋のオヤジに出会ったら最後、鼻毛を読まれるか、顎骨《あごぼね》を蹴放《けはな》されるかしない者は居ないであろう。試みに挙《こ》す。看よ。
前回の通り、親友の生胆《いきぎも》を資本《もとで》にして、長崎の鯨取引に成功した湊屋仁三郎は、生れ故郷の博多に錦を? 飾り、漁類問屋をやっている中《うち》に、日露戦争にぶっつかり、奇貨おくべしというので大倉喜八郎の牛缶に傚《なら》って、軍需品としての魚の缶詰製造を思い立ったが、慣れない商売の悲しさ、缶の製造業者に資本を喰われて、忽ち大失敗の大失脚。スッテンテンの無一物となった三十八年の十一月の末、裾縫《すそぬい》の切れた浴衣一枚で朝鮮に逃げ渡り釜山《ふざん》漁業組合本部に親友林|駒生《こまお》氏を訪れた。林駒生氏は本伝第二回に紹介した杉山茂丸氏の末弟で、令兄とは雲泥、霄壌《しょうじょう》も啻《ただ》ならざる正直一本槍の愚直漢として、歴代総督のお気に入り、御引立を蒙っていた統監府の前技師であった。左《さ》はその直話である。
「ヨオ。仁三郎か。よく来た……と云いたいが何というザマだ。この寒いのに浴衣一枚とは……」
「ウム。俺《おら》あ途方もない幽霊に附纏われた御蔭で、この通りスッテンテンに落ぶれて来た。何とかしてくれい」
「フウン。幽霊……貴様の事ならイズレ女の幽霊か、金《かね》の幽霊じゃろ」
「違う。金や女の幽霊なら、お茶の子サイサイ狃《な》れ切っとるが、今度の奴は特別|誂《あつら》えの日本の水雷艇みたような奴じゃ。流石《さすが》のバルチック艦隊も振放しかねて浦塩《うらじお》のドックに這入り損のうとる。その執拗《しつこ》い事というものは……」
「フウン。そんなに執拗い幽霊か」
「執拗いにも何も話にならん。トテモ安閑として内地には居《お》られん」
「一体何の幽霊かいね」
「缶詰の幽霊たい。ほかの幽霊と違うて缶詰の幽霊じゃけに、いつまでも腐らん。その執拗い事というものは……呆れた……」
愚直な林氏は茲《ここ》に於て怫然《ふつぜん》色を作《な》した。
「一体貴様は俺をヒヤカシに来たのか。それとも助けてもらいに来たのか」
「正真正銘、真剣に助けてもらいに来たのじゃないか。これ見い。この寒空に浴衣のお尻がバルチック艦隊……睾丸のロゼスト・ウイスキー閣下が、白旗の蔭で一縮みになっとる。どうかして浦塩更紗《うらじおさらさ》のドックに入れてもらおうと思うて……」
「馬鹿……大概にしろ。この忙しい事務所に来て、仁輪加を初める奴があるか……」
しかし篠崎仁三郎はどこへ行ってもこの調子であった。魚市場の若い連中が何かの原因でストライキを起して、幹部連中が持てあましている場面でも湊屋仁三郎が出て行くと一ペンに大笑いになって片付いた。
「貴様は○○のような奴じゃ。撫でれば撫でる程、イキリ立って来る。見っともない」
結局、彼にとっては
前へ
次へ
全18ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング