持てに持てて高価《たか》い魚がアラカタ片付く頃になりますと、もうヘトヘトになって、息が切れて、走ろうにも腰がフラ付きます。太陽《てんとう》様が黄色《きんな》く見えて、生汗《なまあせ》が背中を流れて、ツクツク魚売人《さかなうり》の商売が情無《なさけの》うなります。何の因果でこげな人間に生れ付いたか知らん。孫子の代まで生物《なまもの》は売らせまいと思い思い空《から》になった荷籠《めご》を担いで帰って来ます。
それでも若い中《うち》は有難いもので、その晩一寝入りしますと又、翌る朝は何とのう生魚《さかな》を売りに行きとうなります。
バクチは親父《おやじ》が生きとる中《うち》は遣りませんでしたが、死ぬると一気に通夜の晩から初めまして、三年経たぬ中《うち》に身代をスッテンテレスコにして終《しま》いました。それを苦に病んで母親も死ぬる……というような事で、親不孝者の標本《おてほん》は私で御座います。ヘイ。
今では身寄タヨリが在りませぬので、イクラ働いても張合いが御座いまっせん。それでも世界中が親類と思うて、西洋人《いじん》の世話までしてみましたが、誰でも金《かね》の話だけが親類で、他事《あと》は途中《みち》で擦違《すれちご》うても知らん顔です。
『道楽はイクラしても構わん。貴様《ぬし》が儲けて貴様《ぬし》が遊ぶ事じゃケニ文句は云わんが、赤の他人でも親類になる……見ず知らずの他人の娘でも蹴倒《けた》おす金の威光だけは見覚えておけよ』
というのが死んだ親父の口癖で御座いましたが、全くその通りの懸価《かけね》なしで、五十|幾歳《いくつ》のこの年になって、ようようの事、世間が見えて来ましたがチット遅う御座いましたナア。人間万事身から出た錆と思うて……親不孝の申訳《もうしわけ》と思うて、誰でも彼でも親切にしてやる片手間には、イツモ親父の石塔に頭を下げておりますが、お蔭で恩知らずや義理知らずに出会うても格別腹も立ちまっせん。両親の墓に線香を上げるとスウーッとしてしまいます。
バクチの失敗談《しくじりばなし》ですか。バクチの方はアンマリ面白い事は御座いまっせんばい。資金《かね》に詰まって友達の生胆《いきぎも》を売って大間違いを仕出かしたのを幕切《ちょん》にして、立派にやめてしまいましたが、考えてみると私輩《わたしども》の一生は南京花火のようなもので……シュシュシュシュポンポンポン……ウワアーイというただけの話で……。
……ヘエ……その生胆売りの話ですか。どうも困りますなあ。アンマリ立派な話じゃ御座いませんので……あの時のような遣切《せつ》ない事はありまっせんじゃった。今まで誰にも云わずにおりましたが……懲役に遣られるかも知れませんので……。決して悪気でした事では御座いませんじゃったが、人間の生胆《きも》と枕草紙《かよい》は警察が八釜《やかま》しゅう御座いますケニなあ……。
もっとも友達の生胆を売ったチウたて、ビックリする程の事じゃ御座いません。生胆の廃物利用をやって見た迄の事だす。前のバクチの一件の続きですが……私が二十三か四かの年の十二月の末じゃったと思いますケニ、明治二十年前後の事だしつろうか。
前にも申しました通りバクチは親父の生きとる中《うち》は大幅《おおぴら》で遣れませんでしたが、死ぬると一気に通夜の晩から枕経《まくらきょう》の代りに松切坊主《まつきりぼうず》を初めましたので、三年経たぬ中《うち》に身代がガラ崩れのビケになってしもうた。それを苦にした母親が瘠せ細って死ぬる。折角来てくれた女房までもが見損のうたと吐《こ》いて着のみ着のままで逃げてしもうた。その二十三か四の年の暮が仙崖さんの絵の通り『サルの年祝うた』になってしもうた。
借金で首がまわらぬと申しますが、あの味わいバッカリは借金した者でないと理解《わか》りまっせん。博多の町中、行く先々、右も左も虱《しらみ》の卵生み付けたゴト不義理な借銭ばっかり。真正面の青天井に見当を附けて兵隊《ちんだい》さん式にオチニオチニと歩まぬと、虱の卵を生み附けられた顔がイクラでも眼に付きます。その虱の卵が一つ一つに孵化《われ》て、利が利を生みよる事を考えると、トテモ博多の町に居られた沙汰では御座いませぬ。こげな事にかけますと私はドウモ気の小さい方と見えまして……ヘイ。
私の女郎買とバクチの先達《せんだつ》で大和屋惣兵衛《やまとやそうべえ》、又の名を大惣《だいそう》という男が居りました。最前チョットお話ししました棺の中でお経を聞いてビックリした豪傑で、お寺の天井に居る羅漢様と生き写しの面相《つらよう》で、商売の古道具屋に座って、煙草を吸うております中《うち》に蜘蛛《くも》が間違えて巣を掛けよるのを知らずにおったという大胆者《おちつきもん》で御座います。
平生《ふだん》から私の事をドウ考えているか判然《わか》りませんでしたが、イヨイヨ押詰まった師走《しわす》の二十日頃にこの男の処へ身の上相談に行きますと、相変らず煤《すす》け返った面《つら》で古道具の中に座っておりましたが、私の顔をジイッと見ながら、黙って左の掌《て》を出せと申します。何を云うかわからん、気味《きび》の悪いところがこの男のネウチで、啣《くわ》え煙管《ぎせる》のまま私の掌《てのひら》を見ておりましたが、
『これはナカナカ運のいい手相じゃ。長崎へ行けばキット運が開けると手筋に書いてある』
と云います。私は呆れました。
『馬鹿|吐《こ》け。長崎へ行く旅費がある位なら貴様の処へ相談に来はせぬ』
『まあ待て。そこが貴様の運のええところじゃ。運気のお神様は貴様の来るのを待って御座った』
と云ううちにチョット出て行きますと、瞬く間に五十両の金を作って来たのには驚きました。
『実は俺も生れてから四十五年、ここへ坐っ居《と》ったが、イヨイヨこの家《うち》へ居ると四十六の年が取れん位、借金の下積《したづみ》になっとる。ちょうど女房と子供が、実家《さと》の餅搗《もちつき》の加勢に行《い》とるけに、この店をば慾しがっとる奴の処へ行《い》て委任状と引換えに五十両貰うて来た。序《ついで》に俺のバクチの弟子で女房の弟《おとと》に当るチットばかり耳の遠い常吉《つんしゅう》という奴も、長崎へ行きたがっとるけに、今寄って誘うて来た。三人連れで長崎へ行《い》て一旗揚げてみよう。異人相手の古道具《ふるもの》は儲かる理窟を知っとるけに、大船に乗った気で随《つ》いて来い』
と云います。日本一アブナイ運の神様ですが、迷うておりました私は大喜びで、そこへボンヤリ這入って来た、今の話のツン州という若者《わかて》と三人で久し振りに前祝を一パイ遣って、夜汽車に乗って長崎へ来ました。
ところで途中、湯町にも武雄(いずれも女の居る温泉場)にも引っかからず長崎へ着いて、稲佐《いなさ》という処の木賃宿へ着いた迄は上出来でしたが、その頃の五十両というと今の五百円ぐらいには掛合いましたもので、三人とも長崎見物の途中から丸山の遊廓に引っかかって、チョットのつもりがツイ長くなり、毎日毎日チャンチャンチャンチャンと花魁船《おいらんぶね》を流している中《うち》に五十両の金が、溝鼠《すいどうねずみ》のように逃げ散らかってしもうた。仕方なしにモトの木賃宿に帰って来ると泣面《なきつら》に蜂という文句通りに、大惣が大熱を出いて、煎餅布団をハネ除《の》けハネ除《の》け苦しがる。今で云う急性肺炎じゃったろうと人は云いますが、お医者に見せる銭《ぜに》なぞ一文も在りませんけに、濡手拭《ぬれてのごい》で冷やいてやるばっかり。そのうちに大惣がクタビレて来たらしく、気味《きび》の悪いくらい静かになって来た。半分開いた眼が硝子《ビイドロ》のゴト光って、頬ベタが古新聞のゴト折れ曲って、唇の周囲《ぐるり》が青黒う変《な》って、水を遣っても口を塞ぎます。洗濯板のようになった肋骨《あばらぼね》を露出《こっくりだ》いてヒョックリヒョックリと呼吸《いき》をするアンバイが、どうやら尋常事《ただごと》じゃないように思われて来ました。
そのうちに夜が更けて二時か三時頃になります。背後《うしろ》の山手《やまのて》でお寺の鐘が、陰に籠ってゴオオ――ンンと来ますと、私は、もうイカンと思いました。スヤスヤ寝入っとる大惣を揺り起いて耳に口を寄せました。
『……大惣……大惣……』
大惣が返事の代りに私の顔をジイット見ます。
『貴様はモウ詰まらんぞ』
何度も何度も大惣が合点合点しました。涙を一パイ溜めております。
『……イロイロ……セワニ……ナッタ……』
『ウム。そげな事あドウデモよかバッテン、イッソ死ぬなら俺へ形見ば遣らんか』
大惣は寝たまま天井をジイッと見した。
『……シネバ……シネバ……何モイラン……何デモ遣ルガ……何モナイゾ……』
『ホンナ事に呉れるか』
『……ウム。オレモ……ダイ……大惣じゃ』
『よし、それなら云おう。貴様が死んだなら済まんが、貴様の生胆《きも》ば呉れんか』
大惣が天井を見たままニンガリと物凄く笑いました。
『ウム。ヤル。臓腑《ひゃくひろ》デモ……睾丸《きんたま》デモ……ナンデモ遣ル。シネバ……イラン』
『よしっ。貰うたぞ。今……生胆《きも》の買手をば連れて来るケニ、貴様あ今にも死ぬゴトうんうん呻唸《うめ》きよれや』
大惣が今一度、物凄くニンガリしながら合点合点しました。私は直ぐに木賃宿を飛出しました。
その頃は長崎に、支那人の生胆《いきぎも》買いがよく居りました。福岡アタリの火葬場にもよくウロウロしおりましたそうで……真夜中でも何でも六神丸の看板を見当てにしてタタキ起しますと、大抵手真似で話が通じましたもので、私は日本語のすこし出来る支那人《チャンチャン》を引っぱって木賃宿へ帰って来ました。
その支那人《チャンチャン》は体温計《ねつはかり》と聴診器《みみラッパ》を持って来ておりました。私とツン州と二人で感心して見ております前で、約束通りにウンウン呻吟《うめ》きよる大惣の脈を取って、念入りに診察しますと病人の枕元で談判を初めました。
『この病人は明日《あした》の正午《ひる》頃までしか保《も》たん。死骸を蒲団に包んで私の家《うち》に担いで来なさい。高価《たか》く買います。私の店はこの頃開いた店じゃケニ高い。ほかの家《うち》は皆安い。死骸の片付けも皆して上げます。頭毛《かみげ》も首の骨もチャント取って上げます。生胆《きも》のほかに胃腸《いぶくろ》につながっている小さい青い袋を附けて下されば七円五十銭。それが温《ぬく》い中《うち》に持って来なされば十二円五十銭……』
支那《チャンチャン》坊主は掛値を云うものと思いましたケニ、思い切って大きく吹っかけました。
『イカンイカン。二十五円二十五円。一文も負からん。ほかの処へ持って行く。ほかに知っとる店がイクラでも在る』
『それなら十五円……』
『ペケペケ。絶対《たくさん》ペケある。二十五円二十五円。アンタは帰れ。モウ話しせん』
私は支那人の足下を見てしまいました。魚市場の伜だすけに物は云わせません。支那人《チャンチャン》坊主は未練そうに立上りかけました。
『そんなら十七円五十銭……ぬくい中《うち》……』
『ウーム……』
と私は腕を組んで考えました。ここいらが支那人《チャンチャン》の本音かなと思うておりますところへ、横から大惣が蒼白い手を伸べて私の着物の袖を引っぱりました。
『……ヤスイヤスイ……ウルナウルナ……』
『わたし。最早《もう》帰ります。十八円……いけませんか』
『ペケ……ペケ……オレノ……キモハ……フトイゾ……ペケペケ……』
『ええ。要らん事云うな。大惣……黙って呻吟《うめ》きよれ』
『ウンウン。ウンウン。水ヲクレイ』
『ホラ。遣るぞ。末期《まつご》の水ぞ。唐人さんドウかいな。もう死によるが。早よう話をばきめんとほかの処へ持って行くがナ』
とうとう支那人が負けて二十円で手を打ちまして、ほかの処へ持って行かぬように、五円の手附を置いて帰りました。
『ヤレヤレ。クタビレタ』
『ウンウン……ウンウン……スマンスマン……』
『モウ呻吟《
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