。その乱暴者を、極めて温柔《おとな》しい文学青年の筆者と同列に可愛がったのが筆者の母親で、痛快な、男らしい意味では筆者よりも数十層倍、深刻な印象を、負けん気な母親の頭にタタキ込んでいる筈であるが、この男の伝記は後日の機会まで廻避して、ここには前記、失意後の乱暴オヤジ、奈良原到翁の逸話を二三摘出してこの稿を結ぶ事にする。
奈良原翁は少年時代に高場乱子、武部小四郎等から受けた所謂、黒田武士の葉隠れ魂、悪く云えば馬鹿を通り越しても満足せぬ意地張《いじばり》根性がドン底まで強かった。気に入らない奴は片端《かたっぱし》からガミつける。処嫌わずタタキつける。評議の席などで酔っ払った奈良原到が、眼を据えて睨みまわすと、いい加減な調子のいい事を云っている有志連中は皆青くなって、座が白けてしまったという。そんな連中が奈良原の貧乏な事をよく知っていて、時世|後《おく》れの廃物だとか、玄洋社の面《つら》よごしとか何とか、在る事無い事デマを飛ばして排斥したので、奈良原到は愈々《いよいよ》不遇に陥ったものらしい。
しかし後年の奈良原到翁には、別にそんな連中を怨んだような語気はなかった。多分、新時代の有志と
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